転轍器

古き良き時代の鉄道情景

キヤ191系

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 キヤ191系は鉄道ファンNo.230「国鉄の事業用車」特集によると、本格的な架線・信号検測車として昭和49年と50年に3編成、6輛が製造され、直流電気検測車191系、交直流電気検測車443系電車の気動車版ということであった。キヤ190は架線の測定、キヤ191は信号関係の測定を行う車輛で2輛1組で運転される。製造された3ユニットは、1は小郡、2は秋田、3は名古屋に配置されている。久大・豊肥本線での検測スジの情報を聞き小郡からの使者を追いかけた。

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 キヤ190側から見る。架線関係の測定を行うため屋根上は測定用パンタグラフと観測のドームが載っている。 キヤ190-1+キヤ191-1〔広コリ〕 9632D 久大本線恵良 S61(1986)/6/20

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 キヤ191側から見る。信号関係の測定機器は床下に搭載されている。側面は機関車のようなエアフィルターがいかめしく映る。後方は玖珠盆地特有の奇怪な形の山々が見える。  キヤ190-1+キヤ191-1〔広コリ〕 9632D 久大本線恵良 S61(1986)/6/20

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 キヤ190-1+キヤ191-1〔広コリ〕 9632D 久大本線野矢~由布院 S61(1986)/6/20

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 キヤ190-1+キヤ191-1〔広コリ〕 9632D 久大本線天ヶ瀬~杉河内 S61(1986)/6/20

吹雪の高城 昭和56年3月1日

 昭和56年3月1日は春を前に平野部も大雪に見舞われた。雪の経験のない生活は大混乱、前にも後にも「雪かき」で汗を流したのはこの時だけであった。非日常の景色を求めて簡易チェーンを装着し、近くの駅へ向かうと貨物列車が交換待ちをしているところであった。 日豊本線高城 S56(1981)/3/1

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 視界のきかない高城駅はダイヤ通りか定かではないが、貨物列車交換の最中であった。静まりかえった構内に鶴崎で組成されたであろうタンカー編成が上り線を通過する。下り列車が退避しているのがうっすらとわかる。

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 辺り一面静かな空間に重たいタンカーのジョイント音が響き渡る。かすむ構内にヨ8000の尾灯がふたつ浮かびあがる。

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 ヨの尾灯が視界から消えて行くと側線につながれたED74の廃車群がうっすらと浮かびあがる。上り列車通過後も踏切警報機は鳴りやまない。

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 踏切警報機は鳴りやまないまま、転轍器が作動し下り列車の進路が構成される。

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 踏切警報機の音をかき消すようにモーターの唸りが次第に大きく聞こえてきた。吹雪の勢いは増すばかり。

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 機関車が眼前に迫ってやっとナンバーがナナロクの66番と確認できた。上り通過から下り発車まで冷たい雪と風に打たれながら踏切脇でじっと耐える。

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 寒さに耐えきれずこの列車の通過とともにこの場から退散したのは言うまでもない。平野部での積雪はこの後も何度か経験したが写真に残せたのはこれが唯一であった。 日豊本線高城 S56(1981)/3/1

大嶺支線のD518

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 日本最大のカルスト台地といわれる秋吉台へ行く道中で、C58の牽く貨車1輛客車1輛の混合列車を目撃し、強烈な印象が残っていた。それは昭和41年頃の私はまだ小学生の時であった。当時の感覚は客車列車は少なくとも4輛はつないでいたし、ましてや客車と貨車をごっちゃにつなぐなどありえなかった。それでその混合列車のことは後々まで不思議な編成として刻まれていた。後年、その列車が走る線は南大嶺から大嶺までひと駅間だけの路線ということがわかった。
 訪れた昭和47年夏、大嶺支線は2.8㎞の盲腸線で1日8往復の混合列車が健在であった。その日は貨車の連結がなく残念であったがC58から変わったD51が客車1輛を従えたれっきとした営業列車として運転されていた。 D518〔厚〕+オハフ33〔広アサ〕 630レ 美祢線大嶺支線南大嶺~大嶺 S47(1972)/8/11

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 南大嶺では客車を放して転線、さっそく入換にとりかかる。島式ホームの上屋に掛けられた案内表示は2番線長門市方面、3番線厚狭方面と読める。 美祢線南大嶺 S47(1972)/8/11

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 D518〔厚〕は門司のD51のようにタブレットキャッチャーが付いていたのかナンバープレートがキャブからはみ出している。熊本、鳥栖、吉松と九州線で活躍の後厚狭に転属している。 美祢線南大嶺 S47(1972)/8/11

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 入換開始。手前の有蓋車は筋交い補強のアングルが独特の木製のワム50000形式だった。 ワム52719 美祢線南大嶺 S47(1972)/8/11

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 美祢線の枝線となった大嶺支線は、開業時は大嶺炭田の石炭を運ぶため山陽鉄道が厚狭~大嶺間を開通させ、こちらが当初の本線であった。南大嶺から美祢・重安方は国有化の後に開業している。大嶺炭田は良質な無煙炭が産出され、蒸気機関車の石炭の質は(1)大嶺(2)伊田(3)宝珠山の順に優れていると聞いたことがある。 南大嶺 S47(1972)/8/11

列車案内表示装置

 昭和50年代に見ていたテレビ番組「ザ・ベストテン」は週ごとの楽曲のランキングをフラップ式の表示板がパタパタと音を立てて回転させていたのが印象的で、まるで駅の列車表示機を見るようであったのを思い出す。

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 新幹線ホームから在来線乗換口に向かうと、新幹線特急券の回収と乗継切符の確認で乗客の長い列ができる。乗継改札口の上には横一列の黒い列車案内板が目に飛び込んでくる。順番待ちで歩が止まったので何気なく撮ったスナップと思われる。WEBで調べると正式な名称は「反転フラップ式案内表示装置」というらしい。文字の書体は懐かしい国鉄時代の「すみ丸ゴシック」ではないだろうか。パタパタと音をたてて回る様子は旅の気分を高揚させる。 小倉 S58(1983)/11/20

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 鹿児島線下りを見る。22:00発は西鹿児島発博多行“にちりん52号”、22:33発は夜行急行“かいもん”、22:10発は小郡から九州入りの南福岡行。上りは22:06発は長崎発大阪行“あかつき2号”が停車、佐世保発の筑豊線回りは通過して次の門司で併結する。日豊線日田彦山線に目をやるといずれも最終列車で、21:47小倉発大分行は“にちりん”の最終、21:51発は日田彦山線最終添田行、22:13発は日豊線最終柳ヶ浦行である。日豊線回りの夜行“日南”は23:03発、別府経由西鹿児島行の案内であった。旅情漂うひと時だ。 小倉 S58(1983)/11/20

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 時刻表昭和58年5月号から小倉駅のりば案内を見る。あの迫力ある列車案内表示装置は新幹線コンコースからつづく乗りつぎ改札口上に設置されていた。日頃急いで歩く駅構内の設備に目を向けることはなかったが、運よくあの頃の国鉄時代を撮っていた。

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 当然ではあるがホームにも上屋から吊り下げ式の列車案内表示装置があった。それを撮ったわけではないが、423系電車の頭合せにたまたま写っていた。この電車は鹿児島線下りの案内にあった6番線21:38発荒尾行で、南福岡以南は最終電車となる。疲れた乗客の姿は1日の終わりを物語っているようだ。 189M 小倉 S58(1983)/11/20

西武池袋線江古田

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 西武池袋線江古田駅上りホームから通過する池袋行急行電車を撮っていた。人物メインのネガに残っていたのを発見するも撮った記憶は残っていない。カラーネガは退色が進んでカラーモードはグレースケールに変換する他なかった。当時何の感慨もなかった私鉄沿線風景は今振り返ると駅周辺の店舗がひしめき合う活気ある街並みに目がいく。今ならとても気になる居酒屋の看板や、広告サインのロゴ体に時代の経過を痛感する。場内信号機をよく見ると背面に本線側は11R、待避線側は12Rと標記されている。 西武池袋線江古田 S58(1983)/11/20

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 ホームに人影は見えない。4番線に各駅停車が退避、3番線を急行電車が駆け抜けて行き、東長崎側の大きなカーブに弧を描いて見えなくなる。跨線橋やホーム上屋、ホーム壁面の仕様などはこの線の歴史を感じさせられる。 西武池袋線江古田 S58(1983)/11/20