転轍器

古き良き時代の鉄道情景

2015-01-01から1年間の記事一覧

D51333

D51333は手持ちの配置表によると、昭和32年函館、昭和36年函館、昭和43年岩見沢、昭和46年小樽築港、昭和48年追分と北海道内を渡り歩いた道産子罐と思われる。北海道仕様の切詰めデフレクタとデッキ上の手摺、回転式火の粉止が九州機を見なれた目には異様に…

栗沢

岩見沢からC5757〔岩〕牽引の上り室蘭行オハフ6234〔札ムロ〕に乗車する。ひと駅目の万字線が分岐する志文は大きな駅であったと思われるが記憶に残っていない。次の栗沢は室蘭発岩見沢行と交換するのでホームに降りて駅風景をスナップする。セキを連ねた長…

中間

昭和48年3月現在、筑豊本線のD60は直方22・46、若松61・69の4輛が健在であった。若松の2輛は47年10月にDD51配置の余波で直方から移ってきている。その後48年7月には直方の2輛も若松へ配置替えとなり、直方からはD60が消えてD60終焉へと向かう。 筑豊本…

複々線

折尾駅の南をかすめる国道3号線の陸橋から複々線を俯瞰する。左2線が若松からの複線、右2線が黒崎からの複線で、中1線は使われているのかわからないが引上線のようである。民家の壁の広告看板が懐かしく時代を感じさせられる。C5552〔若〕はこの後、昭和47…

デゴマル

D50140は昭和45年8月に若松機関区で見て以来2年ぶりの再会で、あの時は機関区構内の立入りが制限されていて遠く柵の外から眺めるしかなかっただけに、本線を力行する勇姿に感激した。46年春に若松機関区を最後に引退したが、梅小路蒸気機関車館のメンバーと…

セメント列車

昭和47年夏の筑豊本線はD50・D51・D60・9600・8620の牽く客貨列車が次々と行き交っていた。次の罐は何かなと待っていると数本に1本の割合で朱とグレイの真新しいDD51がやって来た。ホキ6800清一色の編成は伊田線金田発のセメントクリンカ専用列車で直方…

いなさ6号・弓張4号

Sカーブで長い編成をくねらせる長崎・佐世保行1309D“いなさ6号・弓張4号” 日豊本線東別府〜西大分 S44(1969)/6 日豊本線片道(上り)だけの長崎・佐世保行“いなさ6号・弓張4号”は博多からの“ゆのか2号”の折返し運用で、この当時475系になっていた“ゆのか”は…

べっぷ1号

“べっぷ1号”は付属編成3連だけのこの当時としては特異な急行列車であった。付属編成は小倉で博多からの基本編成7連の“つくし1号”と併結して10連で大阪へ向かう。“つくし1号”は“べっぷ1号”の後部に連結されるのでクハ455は8号車の札が入っている。 クハ455-22…

チキ3165

チキ3000は長物車と呼ばれ、貨物列車の編成でよく見かけた形式である。積荷は決まって木材が多かったが、電柱やくい、鋼板、レールなどもあった。珍しいところではバスや戦車が積まれていたのも見たことがある。側面の柵柱は8本立つが左右アンバランスにレ…

C58262

C58262〔大〕は昭和46年9月、新見機関区から大分運転所へ転属した罐である。新見時代は集煙装置を装備していたが転属時に外さたものと思われる。豊肥本線での稼働はわずかで47年6月のDL化までの約半年であった。C58262〔大〕は豊後竹田からの臨貨を牽いて…

京王帝都電鉄

京王帝都の電車はおでこのライトがどれも二つ目玉という印象がある。5000系は前面貫通扉と一体となったように見えるライトケースや大きなパノラミックウインドウ、屋根上の背の高いクーラーが特ちょうで独特の顔をしていた。 京王帝都電鉄京王線下高井戸 S52…

寄居

八高線寄居は東武東上線と秩父鉄道が同居する大きな駅で、私鉄の都会的電車線とは対照的な八高線ホームはのどかな雰囲気が漂っていた。ホーム間の側線ではDD51687〔高一〕が次の仕業に備えて待機、無造作に置かれた緩急車は秩父鉄道からの中継貨物を待って…

京都市電

京都市電の写真は観光で立寄った際のスナップで忘却の彼方へ行ってしまっていた。場所の記録がないので写っている画面に何か手がかりはないかと隅々を探すと意外とあるものだ。わずかに写っていた電柱の看板から七条通りを行く6系統と判明する。後方の煙突は…

コンクリート石炭ホッパー

昭和44年の趣味誌で見た唐津線厳木〜多久間を行く補機付石炭列車の写真が脳裏に焼きついている。その後のいわゆるSLブームでは筑豊地区がクローズアップされ鉄道を通じて筑豊炭田に興味を抱くきっかけとなり、撮影に出かけては見聞を広めてきた。一方唐津…

伊田発苅田港行石炭列車

筑豊炭田の石炭は若松・戸畑・苅田港の各桟橋へ運ばれるのは知っていたが、どの駅で仕立てられた物がどの港へ行くのかは謎のままである。田川線を通って苅田港へ運ばれる石炭は、地理的に伊田や後藤寺、豊前川崎辺りからであろうか。そういえば伊田の構内に…

くにさき

急行“くにさき”は新幹線博多開業時の昭和50年3月に登場した14系特急車を使用した新しいタイプの夜行列車である。新幹線開業で数ある夜行列車は廃止されたが、大分“くにさき”、熊本“阿蘇”、長崎・佐世保“雲仙・西海”の3本が昭和50年代の対関西夜行として存続…

山陰本線

昭和54年頃の山陰本線下関口は相当数の客車列車が走っていた。下関発着で運転区間を見ると福知山・豊岡・米子・出雲市と気の遠くなるような長距離列車が走り、浜田・益田・東萩・長門市・滝部と西の駅名が続く。時刻表を開いて遠方の地名やDのつかない数字…