転轍器

古き良き時代の鉄道情景

2016-01-01から1年間の記事一覧

オユ122

昭和50年代始め頃、鉄道模型メーカーの中村精密がプラスティック製の客車キットを出していた。プラの厚みで窓ガラスがレンズのように見えるのを我慢すれば低価格で数を揃えられるのが魅力であった。そのラインナップにオユ12があり深くへこんだ郵便扉の所は…

ワキ8790

国道2号線を走行する車内から脇を行くEF58牽引の荷物列車を見る。青や茶色の郵便車や荷物車の規則正しい列にアルミ色の一見貨車のような車輛が連結された編成に目を奪われる。ワキ8000は新製車と貨車のワキ10000からの改造車のグループがあって、参考文献…

ワキ8761

門司で見たワキ8761もワキ10000からの改造車。台車はコンテナ車のコキ10000やコキフ100000と同じTR203を履いている。 ワキ8761 名ナコ 鹿児島本線門司 S52(1977)/8

ワキ8506

ワキ8000は客車でもあり貨車でもある荷貨物共有貨車という不思議な車輛である。客車形式のスニ40と外観はほぼ同じで側面シルバーと妻面ブルーの塗分けと車体のリブはインパクトがあった。参考文献の「荷物車・郵便車の世界ー昭和50年代のマニ・オユの記録ー…

日豊本線旧線

付属編成を付けた9連の小倉行3514M“ゆのか7号”が亀川を出てれんこん畑の広がる関の江海岸に沿う右カーブにさしかかる。ここから上り勾配となって国道といっしょに岬の海岸線を回る。今は無き単線時代の旧ルートで背景は亀川から見た形の良い高崎山が見える…

EF587

小野田駅で単機回送のEF587〔広〕と邂逅する。大窓とひさし付きの精悍なフロントは好きなタイプだが下垂交差のパンタグラフががっがりであった。後年わかったことはこの下垂交差(PS22B)のパンタグラフに交換されたのは広島所属機が多かったらしい。こ…

山陽本線

懐古趣味の私としては山陽本線の電車といえばかつての国鉄時代、前面2枚や3枚窓の80系電車が走っていたあの頃で止まっている。JR時代になってからは鉄道にカメラを向けることは希になっていたが、所用で山口県に行った際にカラフルな車輛達に目を奪われて…

配置区略号

鉄道車輛を見る楽しみのひとつに車体に標記された略号で所属基地を知ることがあげられる。機関車は区名差しの札の漢字ひと文字(門、直、若、鳥、熊、大、宮、鹿など)で所属の機関区がわかるようになっていた。客車は車体側面に漢字1文字とカタカナ2文字の…

蒸気機関車配置区

「国鉄動力車配置表昭和32年11月1日現在」(鉄道図書刊行会)を開くと蒸気機関車全盛期の機関区とその支区、駐泊所の一覧が記載されている。昭和40年代では廃止された基地名が目にとまりノスタルジーに浸ってしまう。九州管内を転記する。(カッコ内は支区・…

D6022

D6022〔直〕+D6033〔直〕 筑豊本線直方 S45(1970)/8 D6022は昭和27年11月、D5085から改造されて誕生し直方に配属されている。以後配置区は大分、豊後森、出水と変遷し、再び直方へ戻っている。昭和44年3月時点で直方機関区には11輛(22・25・26・27・28…

山口線

小郡発益田行キハ58+キハ47+キハ25の3輛編成が石州瓦の民家が点在する津和野盆地を行く。山口線は昭和48年まで蒸気機関車が走り、津和野に設けられた山口線管理所に集煙装置付のD51が配置されていた。D51の前は同じく集煙装置の付いたD60の走行線区で昭…

山手貨物線

首都圏のEF10は東京と新鶴見に配置され、EF12・13・15と共通運用されていた。EF10はEF53のような角形やEF56のような丸形車体があり形態のバラエティがあった。EF1028〔東〕は昭和36年まで関門間で活躍し、その時のナンバーが数輛東京機関区に配…

相模線

相模線は湘南海岸に面する東海道本線茅ヶ崎から相模川に沿うように北上し相模原台地の橋本で横浜線に接続する33.3kmの近郊路線である。東海道本線のホームから貨物線と側線を挟んで駅本屋側の相模線乗場を遠望する。朱色一色に塗られたキハ1024〔西ハチ〕が…

茅ヶ崎機関区

手元に昭和43年と48年の配置表がある。昭和43年を見ると茅ヶ崎機関区はキハ30・20・16・10が計23輛と掲載されているが、昭和48年では茅ヶ崎機関区は配給車2輛だけで気動車の掲載はない。上記キハ4形式は八王子機関区に27輛配置とあり、ほぼ同ナンバーなので…

根岸線

鉄道ファン昭和46年7月号(№123)のニューススクラップに根岸線の記事を見つける。以下記事抜粋。「根岸線洋光台〜大船間約8.1kmの建設工事は鉄道建設公団の担当で急ピッチに進められている。同線は昭和39年5月に桜木町〜磯子間が、続いて昭和46年3月に磯子…

南行列車の印象

昭和30年代、日豊本線下り列車で津久見まで乗った記憶が鮮明に残っている。DF50の赤い機関車がまるで蒸気機関車のような唸りをあげていくつものトンネルを抜けて白い山肌の見える駅にたどり着くといった印象がある。茶色い客車の窓下には青に白ぬきの文字…

徳浦信号場

南延岡発門司港行534レが交換待ちで徳浦信号場に停まる。対向列車はキハ80系特急“日向”で、薄暮に浮き立つきれいな車体を傾けて快調に飛ばして行った。徳浦信号場から見える住宅と工場群の明かりがとても美しく津久見湾の夕景として印象に残っている。この門…

徳浦信号場

ED7623〔大〕の牽く537レ西鹿児島行 日豊本線徳浦(信) S56(1981)/6 徳浦トンネルを出ると徳浦信号場の構内となり鳥越トンネル越しに上下線が分岐する。537レは荷物・郵便3輛、旅客4輛の7輛編成で最後尾は端面に車掌室窓のあるスハフ42が締めくくってい…

徳浦信号場

徳浦信号場は臼杵〜津久見9.7kmの駅間に列車本数の増加に対応するため、昭和42年9月に開設された。臼杵湾と津久見湾を分ける半島のつけ根を15‰の勾配で超える難所でサミットの位置にこの信号場がある。深い山間のトンネルとトンネルの間に上下線が分かれ、構…