転轍器

古き良き時代の鉄道情景

2017-01-01から1年間の記事一覧

EF81400番台

国鉄分割民営化直前の昭和61年11月、関門間の特急仕業が門司機関区から大分運転所へ変更となり、重連総括制御のEF81400番台6輛が日豊本線を走るようになった。日豊本線のF級機関車はDF50以来で、ローズピンクのEF81は二豊路の新しい風となった。 東京発宮崎…

EF814

EF81は日本海縦貫線を走るため直流、交流50Hz・60Hzの3電気方式の機関車として昭和43年に誕生している。撮影時、EF81は酒田・東新潟・富山第二・敦賀第二・内郷・田端・門司に配置されていた。ローズピンクのEF81とはこの時が初対面であった。 EF814〔富二〕…

157系

157系は好きな電車だった。クモハ157の2枚窓とキハ82にも似た塗分けとカラーリング、モハ156の2丁パンタが魅力であった。夕闇の伊豆半島を終着伊豆急下田をめざして疾走する観光特急“あまぎ3号”。昭和51年1月号の時刻表から3025M“あまぎ3号”の時刻は次の通…

来宮

丹那トンネルの上から構内を見ていた時、突然現れた荷物列車に慌ててカメラを向けた。来宮は東海道本線上にあるがホームは伊東線にしかなく伊東線の駅であった。場当りのスナップでネガ袋から出ることのないコマであったが年月が経って改めて見ると味わいが…

キハ58JR九州色

クリームと朱色のキハ58はJR化以降多彩なカラーリングですっかりイメージが変わってしまった。国鉄時代から慣れ親しんできた急行“由布”と“火の山”はこの後、四国から来た185系特急気動車に置換えられてその名も久大本線は特急“ゆふ”、豊肥本線は特急“あそ”と…

D601

昭和54年夏、復活蒸機のC571と保存D601に会いに山口県を訪れた。中国自動車道と関門橋は開通していたが、九州自動車道は未開通、未だ建設中の時代であった。老兵D601は緑豊かな敷地で黒光りしていた。説明板によると昭和41年12月に廃車とのこと。D60のト…

キハユニ163

キハユニ16は電気式気動車キハ44100から昭和30年代初めに改造された形式である。正面2枚窓の湘南形がオリジナルであるが、大分運転所の163はさらに貫通形に改造された異色の存在である。昭和51年3月現在4両が在籍し、53年に全車廃車され形式消滅している。 …

第2転車台

かつての鉄道事情を知っている方から「大分に転車台がふたつあったのを知っていましたか?」と聞き、愕然とする。私の認識は扇形庫は2、転車台は1と思い込んでいたからである。写真は扇形庫の転車台で、後方は電気機関車検修庫が建っている。撮影時(昭和44…

久大本線上り貨物列車

久大本線上り、西行の貨物列車の編成に木材を積んだトキ25000の姿があった。始発駅を出たばかりなのでこのトキ25000は、豊肥本線下りからか、もしくは日豊本線上りからの継走なのであろうか。久大本線東側の貨物輸送はわずかばかりであった。 D6062〔大〕の…

木材輸送

日田地域は阿蘇、九重山系から流れる大山川や玖珠川が三隈川に合流し筑後川となって有明海に注ぐ川の道があった。かつて、日田地域で産出される木材は筏に組んで筑後川を流す「筏流し」が行われていたと聞く。筑豊の石炭を鉄道開通まで遠賀川で川艜と呼ばれ…

豊後三芳

過日、昭和30年代に豊後三芳駅近くに住んでいたFさんから当時の駅の様子の話を聞く機会があった。昭和30年代は鉄道貨物輸送の全盛期、林業王国日田地域で産出される木材の輸送を久大本線が請け負っていた。当時の豊後三芳駅は今と同じ1線スルーの配線で、日…

砂乾燥小屋

昭和40年代に撮った蒸気機関車の写真は下回りが隠れたり、電柱が手前にあったりする見られないものばかりである。手前に砂が写っている写真が多く、この砂は今になって思うと機関車にはなくてはならないものであった。機関区の施設に給砂設備というものがあ…

豊肥下り一番

豊後竹田発大分行下り一番列車が朝つゆの光る線路を静かに駆けて来る。機関車は遠目からも大型デフとシールドビームで124番とわかる。この当時、線路の両側は見渡す限り水田風景が広がっていた。 721レ 豊肥本線中判田〜滝尾 S45(1970)/9

ワム90000の貨物列車

豊肥本線の貨物列車は大分と熊本、豊後竹田、三重町間各1往復が設定されていた。C58224〔大〕の牽く793レは豊後竹田からの帰りで、このスジはたまにC58重連の時もあった。滝尾駅下り方には土蔵のような農業倉庫が建っていた。貨物輸送全盛期には米が出荷さ…

D6062

D6062は昭和29年12月、日立製D50229から改造後直ちに大分に配属されている。29年から30年に配属されたD60は59・60・61・62・63・64・65・66・67・68の10輛であった。その後、59・66は立石峠の補機として柳ヶ浦へ、68は郡山へ転出した。残った60・61・62・…

熊本のキュウロク

落書きのキュウロクはテンダの石炭が山盛りになっているので給炭の後転向しているのがわかる。大分に顔を出す熊本のキュウロクはバリエーション豊富で多彩な印象があった。59670〔熊〕は、煙突は継足しのある化粧煙突、デフはバイパス弁点検窓付、ランボード…

活気ある構内

D6060〔大〕の牽く豊後森発1635レが15時16分、大分駅5番ホームにすべり込んで来た。となりの中線では17時54分発由布院行644レの編成が入換機に押されている。信号所脇6番ホームは早々と16時23分発豊後竹田行746レの牽引機C58244〔大〕が編成に連結されよう…

鮮烈デビューのキハ45系

新しいタイプの近郊形気動車発見。大分駅南口から運転所洗浄線がのぞけるわずかな隙間から朱とクリームの美しい編成が目に入る。たまたま手前の線路に留置車輛が無かったのが幸いし、日頃は客車留置で見通しがきかない場所から構内を見通すことができた。キ…

28627

28627〔延〕は元松浦線の罐。昭和47年3月早岐機関区から転入、48年8月には若松機関区へ移動し、南延岡機関区滞在はわずか1年半であった。手持ちの配置表で履歴を追ってみる。昭和8年3月宮崎/昭和22年3月大分/昭和32年11月吉塚/昭和36年3月吉塚/昭和43年3月早…

東海道本線

EH10は長編成の貨物列車の先頭に立って東海道・山陽筋の輸送を担う第一人者と思っていた。京浜工業地帯の線路端で遭遇したEH10の貨物列車は何と短編成、コキ×3+コキフの模型のような楽しい編成であった。積載のコンテナは「戸口から戸口へ」の旧タイプ…

懐かしいロコモデル

ロコモデルのカタログは車輛イラストが好きで通信販売で手に入れていた。サイドやフロントのイラストが満載で見るだけて楽しいものであった。旧形国電や私鉄電車などはこのイラストで知るということも多かった。ロコモデルのショーウインドウに展示されてい…

自己紹介

昭和30年代、煙と蒸気を出して走る蒸気機関車を見る日常が、私が汽車好きになった始まりと思われる。大きな車輪が4つにこぶが2つの機関車は傍に寄ると熱くていつ大きな汽笛が鳴るか恐ろしくもあったが、長い列車の先頭で煙をあげる雄姿に魅了された。近くの…

DD13230

門司港で見かけたDD13はナンバー230で、これも15次形ということになる。あちこちでDD13を見かけたが、結局ネガに焼きつけたのは茅ヶ崎、門司港、直方くらいで、今思うと撮り逃がした獲物は相当数におよぶ。となりの線はTR52を履いたオハニ3620〔門モコ…

DD13249

手元に昭和43年発行のカツミの鉄道模型カタログがある。経年で色の変わった頁を開くと、「入換用液体式の強力機DD13形ディーゼル機関車」のタイトルがある。以下本文の説明から抜粋。─戦後、アメリカ陸軍が持ち込んだ小型ディーゼル機関車が、国鉄ディーゼ…

EF15190

EF15の推移を調べると、昭和50年以降、東海道、山陽筋のEF15は斜陽に向かっていたということを知る。新鶴見のEF15を国府津で見かける。パンタを降ろして側線で待機していたEF15190は気がついたら下り貨物列車の先頭に付いていた。伊東線へ入るのだろうか、そ…

D51250

日田彦山線香春・石原町からのセメント・石灰石輸送に門司機関区では多数のD51が配備されてきた。昭和44年3月現在で20輛、48年3月時点でも16輛の多きを数えている。D51250〔門〕は元早岐の罐で46年10に門司に転属している。 門司機関区 S48(1973)/3/29

ED75301

ED75300番台は熊本電化の昭和40年に登場、60HzのED75としてわずか11輛の存在であった。鹿児島本線北部で高速貨物を牽いて100㎞/h走行できる強力機関車であったが惜しくも昭和61年3月に全機廃車となっている。夕刻の戸畑界隈、ED75301〔門〕が長い貨物列車を…

戸畑界隈

鹿児島本線下りはかつては小倉を出ると貨物駅の浜小倉、上戸畑を経て次の旅客駅は戸畑であった。昭和45年に上戸畑のヤードの片隅に新中原駅が誕生している。夕刻の戸畑界隈。西日を浴びて421系8連が行き交う。下りは荒尾行、上りは低窓車の門司港行。前面ク…

ED731019

北九州工業地帯は戸畑駅近くの複々線でED73の牽く石灰石列車に遭遇する。ED73はブルートレインか高速貨物のイメージがあったがこのような区間貨物の運用にも就いていた。石灰石積載のセキには「黒崎〜石原町間専用」の標記があり、この先黒崎へ向かうも…

能登路キハ58790

金沢駅で急行“能登路”のヘッドマークを撮っていた。駅構内がどうなっていたか思い出せないでいたところこちらのブログ→金沢駅0番線 - 線路端のブログⅡでその様子がわかってきた。ホームの番線表示は「0A」で本屋寄りの頭端式ホームで撮っていたことになる。…