内田信号場は油須原~勾金間6.7㎞の間に昭和29年頃設けられている。時あたかも石炭出炭量が増え続けていた時期であろう。キュウロク重連はセラやセキをつないだ長い編成を従えて猛スピードで通過して行った。信号ワイヤの傍らで後方に下がって通過を見守るも…
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