全盛期21輛もの多きを擁した大分運転所のC57は、幸崎電化後は7輛に激減、ヨンサントオのED74転入時にはわずか2輛になっていた。残った2輛は17と53で、佐伯1往復の仕業であったので昼間はどちらかが必ず扇形庫で眠っていた。昭和43年夏に初めて買った「鉄道ピ…
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