昭和44年の対関西日豊本線の夜行急行は、宮崎系統“日南”、大分系統“べっぷ”で運転されていた。“日南”は寝台1、座席2往復(内1往復は季節)、“べっぷ”は寝台2、座席1往復でいずれも季節列車の設定であった。“べっぷ”は客車2、電車1の内訳で次のように運転され…
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。