昭和40年代、私の中学生時代の感覚では本線と名のつく路線の機関車は、旅客はC57、貨物はD51という勝手な思い込みがあった。関西・紀勢・山陰・鹿児島・長崎・日豊の各本線がそうであった。またその形態が本線の貫禄というものであろうと思っていたが、実は…
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