転轍器

古き良き時代の鉄道情景

北九州筑豊

石炭列車仕分線

直方駅のホームから駅裏口へ通じる跨線橋が当時直方構内を見渡せる撮影ポイントであった。何気なく構内を撮ったスナップに石炭輸送全盛期に賑わったであろう石炭列車仕分線が写っていた。写真左の群線がそれで、なるほどセフやワフがぽつんと置かれているの…

彦山

日田行列車は添田を出ると釈迦ケ岳をめざす上り坂となって彦山に着く。彦山は霊峰英彦山の最寄り駅で神社のような優雅な造りの駅舎とホームのぼんぼりに目をうばわれる。蒸機時代、C11はここで給水したと聞く。彦山の路線名称の変遷を辿ると、開業時は行橋…

田川線と添田線の立体交差

田川線伊田方面行のセラ返空編成を勾金駅西方で見る。機関車の先の築堤に架かる鉄橋は添田線で田川線はアンダークロスしていた。無意識でただ石炭列車の後追いを撮っただけだがたまたま立体交差が写ってくれていた。田川線は豊州鉄道として明治28年8月に、添…

行橋中線

行橋駅中線は日豊線、田川線を通る石炭列車が入るので有効長が長く敷設されている。露出不足の眠たい写真は毎度の事ながら私にとっては重要な構図なのでスキャンデータを限りなく明るくしてみた。幾度となく訪れた行橋ではあったが中線を撮ったのはこの1枚限…

行橋

昭和46年4月現在田川線は6往復のC11旅客が設定されていて、気動車列車は伊田往復があったが、旅客は伊田折返しはなく行橋と後藤寺・添田・直方まで直通する運用であった。C11162〔行〕は添田16時58分発行橋18時25分着の438レを牽いて行橋3番線に着いたとこ…

中間

昭和48年3月現在、筑豊本線のD60は直方22・46、若松61・69の4輛が健在であった。若松の2輛は47年10月にDD51配置の余波で直方から移ってきている。その後48年7月には直方の2輛も若松へ配置替えとなり、直方からはD60が消えてD60終焉へと向かう。 筑豊本…

複々線

折尾駅の南をかすめる国道3号線の陸橋から複々線を俯瞰する。左2線が若松からの複線、右2線が黒崎からの複線で、中1線は使われているのかわからないが引上線のようである。民家の壁の広告看板が懐かしく時代を感じさせられる。C5552〔若〕はこの後、昭和47…

デゴマル

D50140は昭和45年8月に若松機関区で見て以来2年ぶりの再会で、あの時は機関区構内の立入りが制限されていて遠く柵の外から眺めるしかなかっただけに、本線を力行する勇姿に感激した。46年春に若松機関区を最後に引退したが、梅小路蒸気機関車館のメンバーと…

セメント列車

昭和47年夏の筑豊本線はD50・D51・D60・9600・8620の牽く客貨列車が次々と行き交っていた。次の罐は何かなと待っていると数本に1本の割合で朱とグレイの真新しいDD51がやって来た。ホキ6800清一色の編成は伊田線金田発のセメントクリンカ専用列車で直方…

伊田発苅田港行石炭列車

筑豊炭田の石炭は若松・戸畑・苅田港の各桟橋へ運ばれるのは知っていたが、どの駅で仕立てられた物がどの港へ行くのかは謎のままである。田川線を通って苅田港へ運ばれる石炭は、地理的に伊田や後藤寺、豊前川崎辺りからであろうか。そういえば伊田の構内に…

場内信号機

ピストン輸送の石灰石・セメント列車に魅かれて日田彦山線に足を踏み入れた。石原町までは本数も多く北九州市郊外の平凡な景色の中で次から次へとやって来る列車を待っていた。石田は島式ホーム1面2線の単純な駅なのに構内入口には2本の場内信号機が建ってい…

若松から東折尾への道順

若松からの下り線 若松〜東折尾(操)間には若松機関区9600仕業の小運転が多数設定されていた。折尾構内の折返し線は使えず中間経由で往復していたものと思われる。577レはセフ+ワフ+トラ×18+セフの積荷は何なのか摩訶不思議な編成であった。 49654〔若〕…

朝の小倉駅

小倉駅北側の貨物線を行く専用貨物列車を見るべく第4ホーム(7・8番線)へ駆け上がる。門司操車場方ばかりに目をやって接近する列車を待ちうけていたが、ふと反対側のホームがカーブする戸畑方を振り向くと電車や気動車の長い編成が出入りする活気ある駅風景…

石炭列車

漆生線漆生から戸畑へ向かう石炭列車 新飯塚発後藤寺行529Dは漆生線の分岐する下鴨生を11時32分に発車。迫る対向列車は69632〔直〕の牽く漆生から出た石炭列車であった。後藤寺線沿線も炭鉱の密集地帯で、石炭運搬ルートは遠賀川の流れと同じように漆生線・…