転轍器

古き良き時代の鉄道情景

蒸気機関車

C612

昭和46年夏、趣味誌で報じられた「C61が日豊本線へ入線」に大きな驚きを覚える。奥羽本線秋田~青森間の電化完成で青森機関区のC61は昭和46年10月、宮崎機関区へ配置換えとなった。当初は宮崎~鹿児島間で運用と伝えられたものの、ストーカーの関係で南延岡…

第3只見川橋梁

学生時代、初めて同好の士と共に有名撮影地を訪ねる機会を得る。筑豊や日豊が本拠地の私は東日本の地は全くの門外漢で旅先案内人に連れられて「只見川第3鉄橋、SL撮影地、天狗岩」の看板が建つお立ち台に到達した。只見線は只見川沿いの深い峡谷を走り、数々…

C5717

全盛期21輛もの多きを擁した大分運転所のC57は、幸崎電化後は7輛に激減、ヨンサントオのED74転入時にはわずか2輛になっていた。残った2輛は17と53で、佐伯1往復の仕業であったので昼間はどちらかが必ず扇形庫で眠っていた。昭和43年夏に初めて買った「鉄道ピ…

大分運転所のC58

C58は丙線区向けの客貨両用の機関車として昭和20年代、久大本線と豊肥本線に投入されていた。久大本線は豊後森に、豊肥本線は宮地に配置されていたが運用の合理化で昭和24年大分へ集約されている。宮地のナンバーは21・33・34・47・48・423・424・426・427の9輛、…

D60の配置と動向について

D60の分布と動向を手元にある配置表から辿ってみた。D50から改造された78輛のD60は昭和32年の時点で9箇所に配備され、根室本線、横黒線、磐越東線、紀勢本線、山口線、筑豊本線、日豊本線、久大本線で使われていたようだ。(北上線はこの時点では横黒線の…

大分運転所のD60

D60は幹線系で使用されたD50を丙線区へ投入すべく軸重軽減の改造が行われた機関車である。昭和20年代の久大本線はC58と8620の走行線区であったが、輸送力増強と速度向上のため昭和29年から30年にかけてD60が大分に配備された。これより久大本線D60の歴…

日中線

日中線は福島県喜多方と山形県米沢を結ぶ鉄道として計画されたが、他地域の建設予定線と同じように工事途上で建設中止された盲腸線である。喜多方ー会津村松ー上三宮ー会津加納ー熱塩16.5kmの路線で日に3往復が運転されていた。熱塩の駅舎は屋根の深いしゃれ…

78684

78684〔大〕は前照灯を装備しない入換専用機。機関車の系譜図4(臼井茂信著/交友社/昭和53年11月刊)に昭和42年当時のこの機関車の写真が掲載されている。煙突は美しい化粧煙突の姿で、パイプ煙突に交換されたのはこの後と思われる。前照灯はこの時すでに標…

D511032

由布市のホームページに湯布院中央児童公園に保存されているD511032の引取り希望者の募集案内が掲載されていた。以下ホームページから。「蒸気機関車D511032号は、これまで子どもたちを含む市民の方はじめ、観光客へ、鉄道の文化資源としてのPR効果と、…

D51272

本州の地で門デフ機を目撃。一瞬ここは九州?と錯覚した厚狭駅下車の第一印象である。予想通りD51272は元熊本の罐で、昭和45年10月の鹿児島本線全線電化開業時に厚狭機関区へ移動していた。厚狭機関区には昭和46年10月現在、D51-23・C58-8・C12-5の計36…

D511080

南大嶺で会ったD511080〔厚〕は美祢線の石灰石輸送で下回りが白っぽくなっていたのが印象に残っている。何か雰囲気が違って見えるのは板状に角ばった独特の形のデフが付いているからだろう。まるで模型機関車にオーバースケール気味の厚みのあるデフを装着…

宗谷本線

本線の旅客列車がこのような旅客2輛、郵便・荷物合せて4輛編成というのに驚く。今改めて最果ての輸送状況を案じる。撮影時はそんな事を思う間もなく、ただ牽引機がC55ではなくてC57が来たということだけはファインダーで認識することができた。宗谷本線は…

39680

39680の動向を手持ちの趣味誌で追ってみた。昭和8年3月津和野、昭和32年11月宮地、昭和36年4月宮地、昭和43年3月香椎、昭和44年3月香椎、昭和44年4月熊本と移動している。宮地機関区統合以降一時門鉄へ移るも、再び豊肥本線の罐として熊本へ転属、昭和47年11…

D601

昭和54年夏、復活蒸機のC571と保存D601に会いに山口県を訪れた。中国自動車道と関門橋は開通していたが、九州自動車道は未開通、未だ建設中の時代であった。老兵D601は緑豊かな敷地で黒光りしていた。説明板によると昭和41年12月に廃車とのこと。D60のト…

D6062

D6062は昭和29年12月、日立製D50229から改造後直ちに大分に配属されている。29年から30年に配属されたD60は59・60・61・62・63・64・65・66・67・68の10輛であった。その後、59・66は立石峠の補機として柳ヶ浦へ、68は郡山へ転出した。残った60・61・62・…

28627

28627〔延〕は元松浦線の罐。昭和47年3月早岐機関区から転入、48年8月には若松機関区へ移動し、南延岡機関区滞在はわずか1年半であった。手持ちの配置表で履歴を追ってみる。昭和8年3月宮崎/昭和22年3月大分/昭和32年11月吉塚/昭和36年3月吉塚/昭和43年3月早…

D51250

日田彦山線香春・石原町からのセメント・石灰石輸送に門司機関区では多数のD51が配備されてきた。昭和44年3月現在で20輛、48年3月時点でも16輛の多きを数えている。D51250〔門〕は元早岐の罐で46年10に門司に転属している。 門司機関区 S48(1973)/3/29

49675

苅田港へ運ばれる石灰石とセメントが満載された重量列車を押して油須原に到着した49675〔後〕。補機はここで開放されしばし休んだ後、単機で後藤寺に戻る。デフ無し、化粧煙突のスタイルは重厚感がある。「架線注意」標識はフロントデッキとサンドドーム、テ…

450立方呎

78684〔大〕はテンダに優雅なローマン書体の形式入プレートを付けていた。テンダの輪郭と整然と並ぶリベットの列が老機関車の貫禄を醸し出している。ナンバープレートの下にある「450立方呎」の文字が浮き出たテンダ形式のプレートに目が奪われる。後年調べ…

D519のテンダ

転車台から延びる機留線にD519〔延〕がテンダを見せて待機している。テンダ形式プレートは拡大すると「12-17C」(?)のようにも読める。通常D51のテンダは8-20形式で、C55全盛時代に行われたテンダ振替の名残りなのか、と思ってしまう。C55の日豊本線通…

D51485

大分駅東部構内の跨線橋から下り貨物の発車を見る。幸崎までの平坦区間では駅の牽き出し以外、煙は期待できなかった。D51485〔延〕は給水温め器と給水ポンプに磨き出しの装飾帯を巻いていた。南延岡までの行路に備え、テンダの石炭が山盛りなのがわかる。眼…

19680

19680〔熊〕は直方からの転属機で、継足しの深い化粧煙突とデフ無しの構えは筑豊スタイルといえる。ランボード一直線の右サイドは意外にもパイピングが少なく、すっきりとした印象を受ける。従前の熊本区の罐とはディテールが異なってよく目立つ存在と思えた…

D514

昭和50年は蒸気機関車最後の年で、撮影時は北海道だけの稼働であった。夕張線で会ったD514は追分機関区所属機で、前年は深川機関区の罐であった。前照燈回りのつらら切りがやけに迫力があって、同じなめくじとはまた違った印象を受ける。セキに積まれた石炭…

遠軽

遠軽は道央と道東を結ぶ結節点、石北本線と名寄本線が分岐する鉄道の要衝である。遠軽機関区はD51・9600・DE10・DD15・キハ22が配置され、石北本線、名寄本線、渚滑線、湧網線で活躍していた。新旭川からの石北本線は北見山地を越えて湧別川沿いを走り…

D6034

逆向D6034〔直〕の牽く長い長い石炭車の列が新飯塚駅2番ホームを高速で通過する。ホームの白線付近では機関車と石炭車の風圧で飛ばされそうになるくらいの勢いを感じた。直方から上山田線運用の機関車は旅客も貨物も上山田行は逆向、直方行は正位となってい…

D5146

D5146は長く鳥栖機関区にあって長崎本線・佐世保線・大村線で使用されていた。新鋭DD51の増備が進むにつれて鳥栖・早岐の蒸機は動きが活発となり、D5146は昭和43年以降早岐機関区に変わり、46年9月に南延岡機関区に転属してきた。以後日豊本線の罐となり…

チムニーキャップ

ハチロクやキュウロクの煙突は化粧煙突やパイプ煙突の形状があってその長短、大小、継足しの有無等さまざまな組合せで種類豊富であった。展示されたハチロクのトップナンバーに目を奪われたのはチムニーキャップと呼ばれる独特の煙突スタイルであった。遠い…

D6022

D6022〔直〕+D6033〔直〕 筑豊本線直方 S45(1970)/8 D6022は昭和27年11月、D5085から改造されて誕生し直方に配属されている。以後配置区は大分、豊後森、出水と変遷し、再び直方へ戻っている。昭和44年3月時点で直方機関区には11輛(22・25・26・27・28…

C11257

熊本機関区のC11は矢部線・三角線の貨物運用と熊本・川尻・八代・大牟田・荒尾の入換用として働き場所が多岐にわたり数多く配置されてきた。C11257は昭和46年以降のメンバーチェンジ車で、松浦線で活躍したもと早岐機関区の所属機であった。 C11257〔熊〕…

C11200

手持ちの配置表で履歴を追うと昭和36年門司、43年門司、46年鳥栖、48年志布志とわかる。昭和15年新製以降長く門鉄管内で稼働、志布志に移ったのは46年以降と思われる。志布志機関区(←志布志古江管理所)のC11は日南線と大隅線の運用であったが蒸機末期のこ…