転轍器

古き良き時代の鉄道情景

駅の風景

甘木

甘木線は太刀洗の陸軍飛行場への物資輸送のため急きょ建設され、昭和14年4月に開業している。終点の甘木駅は軍事、工場物資の輸送で広大な構内が広がっていたと聞く。飛行場跡地はその後キリンビール福岡工場が建設され、原料と製品輸送で貨物輸送は活況を呈…

西唐津

「西唐津」と「東唐津」は行きたい所ではあったが、非電化時代を見ることはかなわなかった。松浦川対岸に位置したかつての東唐津は「ヒカラ」3文字の標記が珍しい気動車区が置かれ、唐津湾に面した西唐津には煉瓦の3線矩形庫のあるキュウロクの基地があった…

下関9番線23時07分から5分間の記憶

門司から潜った海底トンネルを抜けだして下関に着いたブルートレインは停車時間たったの5分で機関車交替が行われる。EF81303〔門〕のステンレスの車体は構内の照明が反射して鈍く光っていた。スタンバイする機関車連結開放のスタッフが写っていた。 下関 S58…

西武池袋線石神井公園

数年ぶりに訪れた石神井公園駅で池袋行の電車を待っていた。同行者といっしょに会話しながらの歩行で駅構内での撮影は遠慮していた。“レッドアロー特急ちちぶ”が一瞬のうちに通過、咄嗟にバッグからカメラを取り出して後追いを撮ったのが石神井公園でのただ1…

豊後竹田 その後

赤坂トンネルを飛び出して来た豊後竹田行2輌編成。軽快気動車と呼ばれたキハ31は民営化直前に登場し、短い車体と2列と1列の座席配置、出入り口の折り戸等はまさにレールバスの姿であった。この時転轍小屋はまだ残っていた。 豊後竹田 H8(1996)/5 駅裏の通り…

豊後竹田

豊後竹田6:57着7:02発上り列車の車内から駅の様子を眺める。構内で夜を明かした下り列車3本はすでに発車した後で留置線に車輌の姿はない。この春の改正までは2台のC58が駐泊していた。駅名標のとなりに建つ名所案内には岡城跡、長湯温泉、祖母山、大船山、久…

荻窪

中野から高架線を走ってきた複々線は荻窪の手前で地平に降り青梅街道をアンダーパスして駅に入り、再び西荻窪に向かって高架線となる。中央本線の長距離列車はかつて新宿でEF64の牽く客車列車を見たことがある。新宿発松本行は荷電連結の9輌編成で残雪の快速…

大和八木

奈良での用事を済ませて大阪環状線鶴橋に戻るには大和西大寺から近鉄奈良線が通常のコースである。奈良線は乗車経験があったので、まだ知らない大阪線に乗ろうと大和西大寺から近鉄橿原線で大和八木へ向かった。大阪線のホームは2階にあり、階段を上ってホー…

泉都別府の玄関口 別府駅

別府駅は日豊本線ではあるが、豊肥本線・久大本線の急行や普通の始発終着駅でもあって列車密度は高く、次から次へと特急・急行・普通の電車や気動車が入っては出て行く、忙しくそして賑やかな駅である。中線2線は熊クマと分オイの12系6連2編成が置かれ、高架…

南熊本

所用で熊本に立ち寄った際、目的地の熊本南地区へ向かう途中に南熊本の駅舎が目に入り、同行者の了承を得て急いでスナップしたのがこの1枚。蒸機時代に通った水前寺・南熊本の駅は貨物側線の多い大きな駅の印象が残っている。本屋入口にりっぱな銅板で駅の説…

修学旅行臨時列車の車窓から -思い出の鉄道風景ー

昭和45年6月、複数の中学校で割当てられた修学旅行団を乗せる修学旅行臨時列車がキハ58系6連で仕立てられた。日本交通公社の号車札が側窓に貼られたキハ58265〔分オイ〕の窓側に陣取って、仲間たちとの会話やゲームもそこそこに車窓風景や対向列車に目を奪わ…

34年後の中判田

中判田行キハ125の運転室脇から前面展望を楽しんでいる。3線の鉄橋が架かる大分川を渡る。左から日豊本線、大分車両センター小運転線、豊肥本線が並ぶ。小運転線は日豊本線旧大分川橋梁の跡地に架橋されたもので、移設後しばらく煉瓦のピーアが残っていた。 …

日没前の中判田交換風景

半径360mの左曲線上に設けられた中判田駅に下り列車が到着した。駅本屋は画面右、跨線橋の脇にあり、かつてはカーブしたホームの先端のスロープから上り線と貨物側線を平面横断通路で渡っていた。上り線外側の側線は蒸機時代の貨物1番から3番線の名残りで貨…

幸崎

日豊本線を大分から下りに乗ると高城、鶴崎にかけて臨海工業地帯を左に見て大野川を渡ると田園が開け大在、坂ノ市を過ぎる。東に向かう線路は子猫川を渡る直前に一気に右に90度曲がって大分から5つめの幸崎に着く。鉄道建設期の大正時代は佐伯線と呼ばれ幸崎…

上熊本駅前スケッチ

上熊本は九州鉄道の時代、明治24年の開業で長い歴史を持つ。当初は池田停車場と呼ばれ後に上熊本に改称され、夏目漱石ゆかりの駅でもある。大正ロマン漂う風格に満ちた駅舎は熊本の北の玄関口として重要な地位を物語っている。松本清張の映画「霧の旗」は主…

西千葉

「西千葉」と聞くと気動車王国千葉県、千葉気動車区、コルゲート板を纏ったキハ35等が思い浮かぶ。千葉気動車区が見えるのではないかと立寄ったのかもしれない。気動車王国は既に過去の話となっていた。気動車区はこの当時、加古川・岡山・松山・徳島・直方…

高城秋景色

昭和47年秋、高城駅で下り寝台急行“日南2号”と上り貨物列車の交換を撮っていた。写った列車のことを趣味誌や時刻表、WEBページで調べてみると当時は何も思わなかった、知らなかった事柄があぶり出されてアルバムの整理・編集は楽しいものだ。 D5146〔延〕の…

宝泉寺

九重連山の西側、大分県と熊本県の境に標高1500mの涌蓋山がそびえている。地熱地帯のふもとに展開する温泉郷のひとつ、宝泉寺温泉は町田川の渓間に位置する。久大本線恵良から線路が伸びて来たのは昭和12年。太平洋戦争の金属供出で一時営業停止となるが昭和…

大分駅8時台の構図 昭和47年5月3日

祝日の朝、汽車見物に大分駅へ赴く。目当てはC57の牽く佐伯行であったがこの日はC58の牽引で残念と思いつつせっかく来たのでしばらく駅の様子をスケッチしてみた。時間の経過とともに写真を並べてみると、旅客列車はED76・DF50・DE10・C58、貨物列車はED74・…

下ノ江

下ノ江駅駅前広場の一角に赤い鳥居が並び、お稲荷さんが祭られている。開業は臼杵まで開通した時の大正4年8月で、開通後たびたび発生する鉄道事故を防いでもらおうと交通安全を祈願しお稲荷さんを祭ることになったと伝えられている。瓦葺き板張りの素朴な木…

横川寸景

新宿ー小淵沢ー清里ー小諸ー高崎ー上野のひと筆書きハイキングの帰路、初めて碓氷峠を通り国鉄最急勾配の66.7‰を経験する。80系電車の先頭にEF63重連が付きそろりそろりと坂を下る。車窓からこれが鉄道の坂なのかと驚嘆の思いで線路を見ていた。降り立った横…

滝尾入換一部始終

当時の列車撮影は通過時刻ぎりぎりに線路端へ行くのが常で、前もって構図を決めるなど皆無であった。一連の入換作業を記録できたのはたまたま早めに駅へ行き、また交換列車の待ち時間があったからではないかと思っている。入換を撮ろうと意識していたわけで…

夕暮れの水前寺

九州には「寺」のつく駅が6つある。日豊本線豊前善光寺、久大本線善導寺、日田彦山線後藤寺、筑肥線周船寺、宮原線宝泉寺、そして豊肥本線水前寺。ここ水前寺を訪れたのは9600重連の宮地行を撮るためである。水前寺の構内はとても広く隣りの南熊本とともに…

海崎黄昏時

所用で佐伯に行った帰り道、日没時刻にもかかわらず佐伯からひとつめの海崎駅に立寄ってみた。何の変哲のない上下2線だけの普通の駅であるが、そこに立ち止まらせたのには訳があった。駅の近くの海岸沿いに要塞のような日本セメントの工場があり、かつて専用…

小樽築港

「小樽築港」と聞くとC62がいた小樽築港機関区を思い浮かべる。呉線が電化された昭和45年10月、糸崎のC62が遠路小樽築港へ回送されるルポを「鉄道ジャーナル」で読んだことが頭をよぎった。昭和50年は小樽築港区に蒸気機関車の配置はなく、特別な名前のよう…

留辺蘂

「るべしべ」ー何という名前、何という響きだろうか。聞いたこともない、どこにあるのかさえ知らなかったが、この駅に下車した理由は留辺蘂ユースホステルに泊まるためであった。夜行列車疲れで駅の印象は名前だけ強烈で後はあまり記憶に残っていない。コン…

札幌

当時の札幌市は人口約120万人の大都市で、その玄関口の札幌駅は鉄筋5階建の威容を誇っていた。駅前に出て儀礼的に撮った唯1枚のスナップは遠いあの時代の良き思い出となった。 札幌 S49(1974)/9/16 「弘済会の道内時刻表」の札幌駅案内図。国鉄バスのりばの…

天塩中川

天塩中川は旭川から約161㎞、音威子府からは4つめの駅で天塩川中流域の木材集散地に位置する。夕方の上り貨物列車と下り旅客列車の交換を撮る目的でこの駅に降り立ったと記憶している。静かな山あいの駅に貨物列車が先に到着、旅客列車はあわただしく出て行…

三角点描

三角線は歴史ある路線で、島原や天草への航路連絡として九州鉄道によって明治32年12月に開通、三角駅はその時に開業した駅である。この時期の九州線は現在名で言うと、鹿児島線は八代まで、長崎線は早岐・大村回りで浦上まで、日豊線は柳ヶ浦まで開通してい…

名古屋

新ニイ標記のキハ58、発車間際の喧噪が飛び込んできた。名古屋と新潟を結ぶ気動車10輛編成の急行“赤倉”は、463㎞を8時間26分かけて走破する昼行の長距離列車で、その経路は名古屋ー中央西線ー塩尻ー篠ノ井線ー篠ノ井ー信越本線ー新潟と壮大な道のりであった…