転轍器

古き良き時代の鉄道情景

行橋で会った9600

小倉工場から全検出場したばかりの時に遭遇した。黒光りするサイドビューに圧倒される。 19626〔行〕 行橋機関区 S45(1970)/8/3 末広がりのパイプ煙突はキュウロクには似合わない気がする。LP403形前照灯も大きいので重たく見える。艶々のボイラ周りはさまざ…

湯田中慕情

出張で訪れた湯田中温泉街、目と鼻の先に長野電鉄湯田中駅があり、記念撮影ができないまま長野紀行は終わってしまった。線路端さんから同時期に湯田中駅で撮った写真があるとの連絡をいただき、見果てぬ夢に終わった湯田中の情景に慕情を抱く。 湯田中駅へは…

長野電鉄

平成10年代、出張で複数の会社所属の数名からなる一行に加わり2泊3日で長野県を縦断した。行きは軽井沢まで、帰りは長野から東京まで、まだ「長野行新幹線」と呼称されていた“あさま”で往復した。団体行動なので鉄道風景にカメラを向けることは遠慮し、残念…

文通の写真から 各地の機関区で

48635〔奈〕 奈良運転所 S45(1970)/2/15 撮影:MURAさん 所蔵:転轍手 形式入プレートがひときわ目を引く48635〔奈〕はゼブラ模様の警戒色が施されているので入換機だろうか。給炭設備は容量の大きい石炭槽とガントリークレーンの組合せで威容を誇る。後方に…

文通の写真から 北恵那鉄道

岐阜県の地図を見ると、南は濃尾平野の平地が広がる一方、北と東西で接する県境は山地、山脈が連なる山々に囲まれた山岳県ということがわかる。北恵那鉄道は県南東部に位置する中央西線中津川駅最寄りの中津町から木曽川の支流、付知川に沿って下付知に至る2…

金田と伊田で会った9600

ランボード一直線の端正なプロポーションに見える49688〔直〕の左サイド。コンプレッサーとエアータンクはバランス良く並ぶ。モーションプレートからのラジアスロッドが忙しく動く光景が目に浮かぶ。 赤池~金田 S48(1973)/3/31 49688〔直〕のすっきりとした…

直方で会った9600

いかにも筑豊の機関車といったプロポーションのキュウロクと会う。継足しの長い化粧煙突、がっちりとしたボイラとはアンバランスに映る扁平なドーム、2段ランボード、キャブ裾の点検窓等は典型的な筑豊スタイルだ。 39638〔直〕 直方 S45(1970)/8/3 デフの有…

久大本線 玖珠川渓谷のD60と8620

きれいな日田杉に囲まれた深い谷を跨ぐ鉄橋を川原から見上げる。朝日を浴び轟音を響かせて行く列車は8620の牽く鳥栖発豊後森行629レで、渓谷に煙が棚引く。 久大本線天ヶ瀬~杉河内 第9玖珠川橋梁 S45(1970)/8/3 日田から豊後森にかけて玖珠川の渓谷沿いを走…

二島感慨

原田発若松行728レに折尾から乗車した。10輛以上つながった長い編成に感動したのを憶えている。この列車は6輛編成で原田を出て、飯塚で増結されたものと思われる。飯塚までは急行“天草”の補機となる逆向きD60が付く注目の列車であった。 そんな事は何も知ら…

青梅鉄道公園

C515 形式C51 フロントデッキの曲線と直線的デフが合っていない。デフは蝶番の付いたドイツ風の大形で趣味誌でもよく見かけた形態だと思う。配置表は昭和20年では奈良、昭和34年では伊勢でナンバー5を見いだすことができた。 E102 形式E10 4110の後継機とな…

東急新玉川線

東急新玉川線は渋谷と二子玉川園を結ぶ新線で、かつての玉川線、通称“玉電”と呼ばれていた路面電車が廃止され、そのルートを地下化して建設され昭和52年4月7日に開通している。開通して数日後、赤帯車と呼ばれた最新鋭の8500系に乗る機会があり、新築ほやほ…

代々木点描

「よよぎ」の響きは公園の名前もあって、集会やイベント・コンサートを連想させられる。また学生運動や予備校のイメージも浮かび独特な響きの感覚を抱いていた。代々木駅は山手線と中央本線緩行線が接する3面4線の配線で、緩行線と山手線内回りは同一ホーム…

川崎市多摩区生田辺りの小田急線

川崎市多摩区生田に住んでいた同郷の友を訪ねたのに、最寄り駅は小田急線の向ヶ丘遊園だったか生田であったか思い出せないでいる。緑多きこの地で行き交う電車を撮っていた。 写真は全て:小田急電鉄小田原線向ヶ丘遊園~生田 S51(1976)/2/21 新宿から急行に…

C57115の牽く急行“高千穂51号”

明けて昭和48年新春、C57115が牽いて下る“日南51号”の折返し上りは何なのか。この時は夏の時刻表しか手元になく、駅の時刻表をめくって予測したのか、はたまた運転所の人に聞いたのか定かではないが、大学ノートの撮影記録帳には、「12月29日、“日南51号”蒸…

C57115 急行牽引の予感

昭和47年も押し迫った年の瀬に、宗太郎峠をめざして夜行急行“みやざき”に乗車すべく大分駅へ向かう。地下道からホームに駆け上がったちょうどその時、留置車輛の向こう側で蒸気機関車牽引の列車が出て行った。照明塔に照らされた白煙と鈍く光る12系客車を目…

琺瑯行先板から浮かぶ鉄道模様

実家の片付けをしていたら思わぬ琺瑯引きのサボ板が出てきた。たぶん国鉄時代末期に百貨店や量販店で開催されていた“鉄道用品即売会”で買ったものと思われる。片面「延岡行」、片面「富高行」であった。はて、日豊本線に延岡行や富高行の列車があったのか少…

京浜東北線の73系 浦和便り

南行「桜木町」を掲げたクハ79はキャンバス押えに縦樋、ウインドシル・ヘッダー、運行窓枠・サボ受の輪郭がはっきりと出て顔がとても締まって見える。前照灯が屋根上にあるので年代を感じる。と、ここまでは単なる私の感想。実はこの顔のこの車輛、63形から7…

門司機関区

日田彦山線撮影の帰り、日没まで少し時間があったので門司機関区へ立寄った。門司駅から機関区までは職員通路を辿るとヤード下の地下道となり、頭上は幾筋もの線路が並ぶ、まるで要塞の迷路を進むようであった。扇形庫から見た構内は下り本線と仕分線が広が…

69665 貫禄十分の印象変化

平瀬清隆さんが撮ったキュウロクの写真を拝見、ナンバーを見るまではとても「69665」とは思えなかった。私が知っている69665とは全く別機のように見えたからだ。煙でかすむ構内の雰囲気も思わず「ここは宮地機関区?」と見紛うくらい昭和30年代の基地風景は…

37レ 筑紫・ぶんご

ぶどう色のEF617〔宮〕が牽く東京発博多・大分行急行“筑紫・ぶんご”は進行方向左手に広がる広島第一機関区を見ながら広島駅1番線に入る。ホーム外れの電柱に「ひろしま」の駅名案内板が見える。広島を通る夜行急行は「桜島・日向・ひのくに・雲仙西海・玄海…

大分~下郡間1線時代の記録 下郡信号場が日豊本線にあった頃

下郡信号場は先に開通した日豊本線から豊肥本線を分岐するのに設けられ、大分川に豊肥本線の鉄橋が架けられて単独線になった昭和38年3月20日に廃止されている。日豊本線と豊肥本線の列車が1本の線路を共有していた昭和30年代後半の風景を平瀬清隆さんが記録…

眼下に見えた女子畑発電所 久大本線車窓から

豊後三芳駅を発車した久大本線下り列車は上り勾配となって日田盆地を抜け出して急峻な渓谷区間へと向かう。上り25‰途上に門鉄と分鉄の管理局境界があり、小ケ瀬トンネル596mを抜け視界が開けたところで衝撃的な景色と出会う。山腹を這う数条の鉄管と発電所…

門司のDD51

昭和48年3月現在、門司のDD51は7(25・48・49・50・863・864・865)輛が配置されていた。日田彦山線の石灰石・セメント列車はDLの影は薄く未だ蒸機健在が続いていた。DD5148は昭和41年製で盛岡・稲沢第一・早岐を経て門司に来たようで、その後貨物専用の800番…

8線を跨ぐ跨線橋があった頃 大分駅

私が汽車の写真を撮りに大分駅へ通った昭和44年頃は、第4ホーム(6・7番)から南口にかけて長い跨線橋が健在であった。本屋側ホームから第4ホームまでは地下道が整備されて、駅表側は近代的な、「裏駅」と呼ばれていた南側は蒸機時代然とした印象があった。 跨…

テルハが写り込んだ構図 大分駅

かつて大分駅のホームでは、手小荷物が積まれた何台もの台車をターレットのような移動機がけたたましい音で動き回り、またその台車は網をかけられ宙を舞うように吊り上げられてホーム間を渡る光景を見ることができた。跨線テルハを意識して写真を撮ったこと…

乗車列車の記憶

学生時代、帰省や旅行で多数の長距離列車に乗車した。写真や記録は無いので乗車列車の記憶はあまり残っていない。最近になって無造作にスクラップした駅弁の掛け紙を見ていたら必ず調整の日付が押印されているのに気づき、その日付を手がかりに回収されない…

対関西夜行急行“日南”の最後

新幹線博多開業による昭和50年3月10日時刻改正は、在来線の輸送体系が大きく変わり、名古屋・京都・大阪・岡山発着の特急や急行がことごとく廃止される画期的なものだった。対関西夜行急行として日豊本線は南延岡・宮崎・都城を結ぶ“日南”は昭和43年10月改正…

EF61 200番台

EF59を撮りに行った瀬野機関区では新たな補機EF61 200番台が運用に就いていた。EF60から改造されたEF61 200番台は貫通扉とデッキが付けられてイメージは大きく変わっていた。上り側の連結器回りはEF59同様の装備でEF63を見るようであった。 EF61 200番台は当…

EF6110

EF59の写真をWEBアルバム「転轍器」に掲載するのにネガフォルダを捜索した際、EF61が写っているのに気づいた。瀬野機関区を訪問したのは昭和57年8月、あれから41年の歳月が流れていたことを改めて認識させられた。 EF5911〔瀬〕を撮っていた時、本線下り線を…

オユ10冷房車をつないだ普通列車

半室郵便・荷物車のスユニを連結した普通列車は亜幹線の日豊本線らしい光景であった。全室郵便車しかも低屋根ユニットクーラー搭載のオユ10との遭遇は、まるで九州西側の幹線を見るようで、日豊本線でも運用されていたことに驚く。この列車は大分発西鹿児島…