転轍器

古き良き時代の鉄道情景

テルハが写り込んだ構図 大分駅

かつて大分駅のホームでは、手小荷物が積まれた何台もの台車をターレットのような移動機がけたたましい音で動き回り、またその台車は網をかけられ宙を舞うように吊り上げられてホーム間を渡る光景を見ることができた。跨線テルハを意識して写真を撮ったこと…

乗車列車の記憶

学生時代、帰省や旅行で多数の長距離列車に乗車した。写真や記録は無いので乗車列車の記憶はあまり残っていない。最近になって無造作にスクラップした駅弁の掛け紙を見ていたら必ず調整の日付が押印されているのに気づき、その日付を手がかりに回収されない…

対関西夜行急行“日南”の最後

新幹線博多開業による昭和50年3月10日時刻改正は、在来線の輸送体系が大きく変わり、名古屋・京都・大阪・岡山発着の特急や急行がことごとく廃止される画期的なものだった。対関西夜行急行として日豊本線は南延岡・宮崎・都城を結ぶ“日南”は昭和43年10月改正…

EF61 200番台

EF59を撮りに行った瀬野機関区では新たな補機EF61 200番台が運用に就いていた。EF60から改造されたEF61 200番台は貫通扉とデッキが付けられてイメージは大きく変わっていた。上り側の連結器回りはEF59同様の装備でEF63を見るようであった。 EF61 200番台は当…

EF6110

EF59の写真をWEBアルバム「転轍器」に掲載するのにネガフォルダを捜索した際、EF61が写っているのに気づいた。瀬野機関区を訪問したのは昭和57年8月、あれから41年の歳月が流れていたことを改めて認識させられた。 EF5911〔瀬〕を撮っていた時、本線下り線を…

オユ10冷房車をつないだ普通列車

半室郵便・荷物車のスユニを連結した普通列車は亜幹線の日豊本線らしい光景であった。全室郵便車しかも低屋根ユニットクーラー搭載のオユ10との遭遇は、まるで九州西側の幹線を見るようで、日豊本線でも運用されていたことに驚く。この列車は大分発西鹿児島…

昭和59年2月改正直前の荷物列車

大分駅2番ホームに横付けされた荷物車の形式写真を撮っていた。あの編成は何だったのか振り返ると、ネガの順番から13:12発久大本線鳥栖行客車列車を撮った後にマニ442027が続いていた。宮崎発東小倉行荷1032レは大分13:03着なので機関車が引上げた後の編成を…

旅客車を連結した荷物列車

昭和59年2月改正を直前に控え、見納めとなる583系を撮りに出かけた際、予期せぬ荷物列車が現れたので写真に収めていた。機関車次位にオハフ50が付いて、この時は回送であろうと思っていた。以下マニ44+マニ50+ワキ8000+オユ14が続く。 荷1033レ 日豊本線…

荷物列車のような旅客列車

日豊本線の客車列車は50系化と電車化で、旧形客車はいよいよ最後の時を迎えようとしていた。大分発門司港行522列車は荷物列車の性格が強く電車化されずに客車列車のままで残っている貴重な存在であった。後部4輛の荷物車は門司で切り離されて東小倉から東上…

瀬野機関区のEF59

旧形電機の下回りは頑丈そうな台車枠が両側のデッキへ突き出し、車体下部は角度が美しい軸箱と砂箱が綺麗に並ぶ。それにブレーキシリンダにつながるレバー類やロッド類、イコライザーが複雑に絡む構造はまるで芸術作品のようだ。 東海道に君臨していたEF53は…

瀬野八補機 丸みのあるEF59

乗車した東行の夜行列車が深夜広島に着くと必ず行う動作があった。それは座席もしくは寝台で息をこらえて静止することである。編成後方で瀬野八越え補機を連結する振動を確認するためで、客車が少し動いたかのような衝撃が伝わる時と、まるで気づかないわず…

東別府駅から見えた鶴見岳

東別府は別府扇状地の南端に位置し、別府湾に面したなだらかな丘陵の背後に鶴見岳がそびえている。東別府を発車した客車列車の後追いにうっすらと雪化粧した鶴見岳が顔を見せていた。 522レ 東別府 S59(1984)/1 別府のシンボル「鶴見岳」が扇状地に広がる別…

りんごのひとりごと

歌い出し“♪今は山中今は浜~”の「汽車」や「汽車ぽっぽ」、「線路は続くよどこまでも」の童謡は軽快なリズムで列車の走行シーンが浮かぶ楽しい歌だ。同じ童謡「りんごのひとりごと」は少し切ない曲調に感じられなくもないが、汽車好きとしては“♪箱に詰められ…

横浜駅で撮った写真から

横浜駅で大形窓のEF58が写ったネガは露出不足で振り返ることなく時は経過していた。たまたま降り立った時にEF58が見えたので思わずカメラを向けたのではないか。大形窓・庇の付いたEF5843〔宮〕が郵便・荷物車を従えて8番ホームに横付けしている。ここまでは…

西唐津界隈 鉄道全盛時代に思いを馳せる

「スーパーマップル8九州道路地図」(平成14年刊)から 昭和58年4月、筑肥線は東唐津でスイッチバックしていた線形が改められ福岡市営地下鉄との相互直通運転に伴って姪浜~唐津間が電化された。同時に唐津線唐津~西唐津間も電化され西唐津は103系電車の車輛…

西唐津機関区

平成時代、「唐津くんち」見物に訪れた際、唐津駅に隣接する物産館に唐津の街並みを撮った本が閲覧できるようになっていた。「唐津鉄工所」を撮った写真は、私には後方のたくさんの冷蔵車が並ぶヤードに目が奪われた。「二タ子」というカタカナ混じりの地名…

久大本線 筑紫平野を行くD60と8620

久大本線の久留米側は広大な筑紫平野の東側を通る。東へ向かう線路は北に筑紫山地、南に耳納山地の山なみを望みながら、南久留米ー御井ー善導寺ー筑後草野ー田主丸ー筑後吉井ー筑後千足ー筑後大石と平坦線で進む。 御井を出てラストスパートにかかるD6060〔…

フレートライナーの見える街角

三ノ宮は雲井通の高架線脇を歩いていたら背後から頭上を機関車の音が通り過ぎて行った。モーター音が小さくなっていくと今度はコンテナ車特有の小気味よいジョイントのリズムが街なかに響きわたる。その音はいつまでも続き、まだ間に合うとカメラを取り出す…

キハ35+キハ47+キハ40 山口線

キハ35系は朱色とクリーム色の塗分け時代に何度か会っているのにカメラを向けていない。その後首都圏色と呼ばれた朱色1色塗りとなって通勤形や近郊形気動車の魅力は半減した。 山口線で出会ったキハ35+キハ47+キハ40の3輛編成は、キハ35以外の新系列車には…

夏のある日の交換風景

偶然通りがかった駅の踏切警報機が鳴り出したので建物の脇からカメラを構えたのではないか。当たり前の日常の風景が切りとられていた。 枕木柵で仕切られた構内にあずき色の下り電車が姿を現す。線路脇はもうすっかり忘れ去られた鉄道風景が垣間見える。古枕…

ブルートレイン EF65500番台

A個室寝台をずらりと連ねた20系“あさかぜ”に、新幹線岡山開業時の昭和47年3月、14系寝台車が仲間に加わった。3往復のうち1往復が14系に置換えられ“さくら”、“みずほ”と同じ編成になった。初めて14系ブルートレインを見た時は驚きとともにスハネフ14のディー…

D6060 訂正

「D6026とD6060」の記事を令和4(2022)年12月18日に掲載した。D6060について記述が一部おかしい箇所があるとの指摘を読者からいただいた。D6060は昭和45年1月31日に廃車されたものの、その後出てきた写真の撮影日付が8月であったので『D6060の廃車日付は帳簿…

1レ 品川通過

せっかくのブルートレイン撮影も行き当たりばったりなので良い写真は残せていない。慌てて品川11番ホーム先端へ走って行ったのではないか。EF65509〔東〕が14系寝台車14輛を連れてフルスピードで駆け抜けて行った。 東海道本線下り電車からの車窓は新橋から…

スカ色のクモハ73 御殿場線

クモハ73の顔はバラエティ豊かで楽しい。前面窓は形状と窓枠、傾斜の有無、前照灯の位置(幕板埋込み・屋根上)、方向幕・運行窓・通風器の有無、雨樋・パイピングと枚挙にいとまがない。この編成は両端クモハ73、中2輛がサハ78のようで、2輛めは3段窓の古いハ…

筑豊本線 遠賀川橋梁の両岸

若松発直方行気動車列車は遠賀川を渡って直方平野を南下する。複々線の線路は中間から先は複線となる。石炭輸送全盛期の筑豊本線は折尾から中間まで複々線、中間から筑前植木までは複線+単線の3線区間であったことを知る。 筑豊本線筑前垣生~筑前植木 S47(…

大分交通宇佐参宮線

宇佐参宮鉄道は官設鉄道宇佐駅を挟んで宇佐神宮のある宇佐町と周防灘に面する高田町を結び、大正5年3月1日に開業した。大分交通宇佐参宮線となったのは、国東・宇佐参宮・耶馬渓・豊州の各鉄道を合併した別府大分電鉄が大分交通として商号変更した昭和20年4…

101系・103系 非冷房の頃

目黒付近の地形は都会とは思えない深い谷があった。わざわざ山手線の103系を撮りに来たのではなく、掘割のような低い位置を通る貨物列車が目当てであったが、うぐいす色の電車しかやって来なかった。目黒を出て恵比寿へ向かう編成は貨物線をオーバークロスす…

北千住から乗った旧形電車

カーラジオから流れてきた曲の「北千住駅のプラットホーム」の歌詞が耳に留まり、何という曲だろうかと後の検索で“あいみょん”の「ハルノヒ」を知った。と同時に遠い青春時代、北千住駅から吊り掛け電車に乗ったことを思い出す。常磐線、東武伊勢崎線、営団…

緩急車 ワフ・セフ

模型の作例でよく見かけたのはこのタイプの黄帯を巻いた有蓋緩急車で「道外禁止」のレタリングとともに絵になる車輛であった。戦後製のワフ22000を2段リンク改造をせずに65Km/h制限とし、形式はワフ122000とされた。 ワフ122826 宗谷本線抜海~稚内 S49(1974…

車掌車 ヨ

貨物列車の編成の前後に付いていた車掌車や緩急車はとても魅力的であった。機関車メインの写真なのでそれらは写ってはいるが、どれも小さくて外形は皆同じように見えたものだ。改めて振り返ると形式ごとに様々なバリエーションがあったようで、車掌車(緩急車…