転轍器

古き良き時代の鉄道情景

DF50509


 日豊本線の蒸機時代、宇佐〜立石間はD60補機を必要とする難所であった。電化の約1年前に複線化が成り、勾配緩和の新下り線にできた立石トンネル(3640m)を通過するため無煙化補機として秋田機関区から8輛のDF50(503・508・509・521・522・523・541・542)が大分運転所に転属してきた。DF50の配置数は最大の25輛を数え、立石峠補機D60の運用はDF50×2の重連に変わり、柳ヶ浦もしくは宇佐に待機して蒸機牽引列車の頭について本務の蒸機は遊車のまま勾配線を牽かれるという運転形態がとられていた。昭和42年10月の幸崎電化でこの運用は解消し、42年9月に3輛(508・521・522)、43年9月に1輛(541)の計4輛が米子機関区へ転出し、大分配置は21輛で落着くこととなった。
 DF50509は41年9月秋田機関区から大分運転所へ転入し、以後49年4月宮崎機関区へ転出するまでの約7年半日豊本線で活躍した。 大分運転所 S45(1970)/10