転轍器

古き良き時代の鉄道情景

南行列車の印象


 昭和30年代、日豊本線下り列車で津久見まで乗った記憶が鮮明に残っている。DF50の赤い機関車がまるで蒸気機関車のような唸りをあげていくつものトンネルを抜けて白い山肌の見える駅にたどり着くといった印象がある。茶色い客車の窓下には青に白ぬきの文字で「南延岡行」と書かれた鉄板が下がっていた。ーみなみのべおかーいったいどんな所だろうと、行ったことのない場所への憧れの念を抱いていた。当時、駅で見たサボの地名、「鳥栖」「由布院」「柳ヶ浦」等、これら未知の場所への憧れは大きく膨らんでいた。列車は大分を出ると大分川や大野川などいくつかの川を渡る。鉄橋を渡る際、客車から身を乗り出して下を見ると、橋桁が見えるわけでもなく列車が宙を走っているみたいでスリルがあった。幸崎まではきれいな松林と並行して走りぬけ、軽やかなジョイント音とともに窓の外を電柱が過ぎ去るたびに上がっては下がる電線のパターンが心地よく感じられた。幸崎は駅のはずれまで続くタンク車の列が異様な雰囲気に映ったものだ。残念ながら日本鉱業佐賀関鉄道のホームや車輛は記憶にない。佐志生の峠を越え、下ノ江で交換した貨物列車の機関車は煙突と砂ドームが一体となったこれまで見たことのない機関車で、D51のなめくじとわかるのは何年も後のことだ。臼杵を出て造船所の風景をチラリと左に見て、いよいよ峠越えにかかるとDF50のエンジン音はたちまち苦しくなり速度が落ちてくるのがよくわかる。次から次にくぐるトンネルは車窓の明りでトンネルポータルの赤煉瓦がすじ状になって流れていくのがとても印象的であった。遠く海に浮かぶ三角形の津久見島がトンネルで見え隠れし、石灰岩の岩肌が現れて貨車がたくさん停まっている津久見に着く。はるか遠方へやって来たという思いであった。