転轍器

古き良き時代の鉄道情景

山本


 唐津線筑肥線の接続する山本は、かつては唐津線西唐津へ、筑肥線は東唐津へと進路が分かれるジャンクションで広大な構内を有していた。唐津興業鉄道時代の明治中期からの歴史ある駅は、訪れた時はすっかりさびれていた。駅前に立って脳裏をよぎるのはもうひとつの分岐、岸嶽線の事だ。岸嶽線を知ったのは「鉄道ジャーナル昭和46年11月号(№55)」で、廃線の記事であった。廃線でその存在を知るという皮肉な事であったがその後の関心へと続く。 唐津線山本 H21(2009)/5

鉄道ジャーナル№55 昭和46年11月号 P111
 唐津線の支線、岸嶽線(山本〜岸嶽間4.1Km)は石炭輸送を目的に建設、隆盛をきわめたが炭鉱の閉山で貨物輸送は昭和43年に、旅客輸送は昭和46年8月に廃止された。記事の写真はキハ10系で筑肥線管理所、門ヒカラの車輛が使われていたのであろう。残念ながら岸嶽線の記事や写真は趣味誌でお目にかかることはなかった。その後唐津炭田に関するWEBを閲覧していたら、岸嶽駅に停車するキハ0629の写真に遭遇、驚きの発見であった。さっそく手持ちの昭和36年の配置表でキハ06を探すと、筑肥線管理所(門ヒカラ)に2輛(0629・0630)が配置されていることを知る。この2輛が岸嶽線で運用されていたのではないかと想像する。

 遠い時代に思いを馳せるのは楽しいものだ。勝手な想像であるが、「山本⇔岸嶽」のサボを下げたキハ06が闊歩していたのではあるまいか…。キハ0629・キハ0630の廃車は昭和41年2月(RM LIBRARY 2/キハ41000とその一族(下)車歴表)なので、その後キハ10系に引継がれたものと考える。
時刻表 昭和45年4月号
 「時刻表昭和45年4月号」を開くと、山本から分岐し、牟田部、岸嶽までの線が掲載されている。掲載頁を開くと岸嶽線の表記はなく、唐津線山本〜岸嶽と記載されていた。列車は8往復の設定で、朝4往復後東唐津へ帰区、8時半以降14時までは列車は無く、以後東唐津出区で4往復の運用である。博多からの筑肥線は東唐津スイッチバックし、山本へ合流している。有田からの松浦線をたどると、石炭輸送で名を馳せた世知原線臼ノ浦線はまだ健在である。佐々機関区のレールバス、キハ02はこの時は姿を消していた。