転轍器

古き良き時代の鉄道情景

砂乾燥小屋

 昭和40年代に撮った蒸気機関車の写真は下回りが隠れたり、電柱が手前にあったりする見られないものばかりである。手前に砂が写っている写真が多く、この砂は今になって思うと機関車にはなくてはならないものであった。機関区の施設に給砂設備というものがあり、拙い写真の中にそれらしき建物が写っていないかネガ袋を探してみた。当時は機関車だけに目がいき、そのような施設に目が向くような感覚や余裕は持ち合わせていなかったが、それでも機関車を撮った脇や後ろにそれらしき建物が写っているものがあった。 大分運転所

さらさらの砂山の向こうに駐機しているのは給炭・給水を終えたD6063〔大〕。客車に連結するまでのひと時を出区線で待機している。手前の砂は貨車から降ろしたばかりの機関車搭載用の砂で、画面左に砂乾燥小屋があった。  S44(1969)/8

機関車を撮った写真であるが、砂乾燥小屋が写っていた。貨車から降ろされた砂はネコのような台車で乾燥庫へ運ばれるのであろう。 C58115〔大〕 S44(1969)/12

石炭車を牽いてきた79608〔熊〕。砂乾燥小屋の後ろに石炭置場がある。 S45(1970)/9

テーブル線からの角度から撮ったD51の後ろに砂乾燥小屋が写っていた。建屋に入るベルトコンベアが見える。 D5112〔延〕 S47(1972)/8

給炭槽から給砂パイプが出ているのが見える。砂乾燥小屋から送砂管が続いている構造になっていると思う。給炭線の機関車はスポートの位置で停止し給水、給炭槽の下で給炭、給砂が行われる。本線上り向きに頭を向けた機関車群は準備完了とともに出区する。 D6071〔大〕 S44(1969)/9

砂乾燥小屋の近影。この時は蒸気機関車の時代は終わっていたが、砂は電気機関車ディーゼル機関車も使用していたので施設は残っていたのだろうか。 58654〔熊〕 S63(1988)/12

巨大なガントリークレーンと給炭槽の全景。石炭ヤードと砂乾燥小屋、給炭槽の位置関係がよくわかる。 S48(1973)/8