転轍器

古き良き時代の鉄道情景

豊後三芳

 過日、昭和30年代に豊後三芳駅近くに住んでいたFさんから当時の駅の様子の話を聞く機会があった。昭和30年代は鉄道貨物輸送の全盛期、林業王国日田地域で産出される木材の輸送を久大本線が請け負っていた。当時の豊後三芳駅は今と同じ1線スルーの配線で、日田寄り本屋側へ1本の貨物側線が引かれていた。この1本の側線に無がい車や長物車が置かれ、来る日も来る日も木材が積出されていった、と聞く。積出は定期貨物の機関車ではなく、日田から機関車が迎えに来て満載の貨車を牽引、空車引込みの際は推進運転と聞き、日田の入換仕業としての運転であったのか興味魅かれるところである。駅前は木材ヤードよろしく丸太の山が築かれ、活気あふれていたという。D60や8620が生木の独特な香り漂う木材満載のトラやチキを牽く光景を想像する。

 日田側から豊後三芳を見る。日田〜豊後三芳間は駅間距離1.8㎞しかなく、建設当時としては短い駅間距離である。カーブ手前で右分岐の側線が敷かれていたのであろう。 久大本線豊後三芳

 駅の建物は地域のコミュニティ消防センターになっていた。ホーム周りは住宅が建ち並び当時の面影を感じることはできない。かろうじて建物とホームの間に空間があり、かつての貨物側線の跡ではないかと思われる。