転轍器

古き良き時代の鉄道情景

オロネ10大ミハ車の謎


 日頃見かけない車輛が停まっていたのでカメラを向けたであろう2輛のオロネ10を撮っていた。宮原のクルマが何故大分に居るのか不思議ではあったがそのまま時は経過していた。写っていたのはオロネ10の2番と30番である。配置と車歴を調べてみると、昭和39年は102品川、1030向日町に、昭和43年は102宮原、1030向日町に、昭和48年は102、1030とも宮原へ配置されていた。廃車年月は2輛とも同じ昭和51年11月で、その後大分へ回送されたのであろう。デッキの手摺に掲げられた標記は「換算3.5/空気ブレーキ使用可/手ブレーキなし/ハンプ通過禁止/突放禁止/連結注意/単独留置禁止」とある。この事から2輛は貨物列車に連結されたものと推測される。鉄道ピクトリアル平成29年2月号別冊「10系軽量客車」に掲載されたオロネ10の車歴表の中に、オロネ1030は「湯布院SLホテル利用車」の記載を発見する。102にその記載は無かったが、この2輛は湯布院SLホテル設置までの留置と思われ、オロネ10大ミハ車の長年の不思議は解決された。ただそういう事であれば、この後由布院までの回送はどういう形だったのか新たな想像も膨らむ。(地名:湯布院/駅名:由布院) オロネ102〔大ミハ〕 大分運転所 S52(1977)/9/8

 昭和44年に実施された国鉄の等級制の廃止に伴ってグリーン車が登場している。それまで1等車と呼ばれていた車輛はグリーン車にオロネ10のような1等寝台車はA寝台車と名称が変更された。オロネ10は当時の表現でいうと、冷暖房完備、空気バネ台車付のデラックスカーで、深い屋根のカーブと側面下方の大胆な絞りが特徴であった。大きな窓と上段寝台の小窓は優等車輛の証で、かつてはA寝台と標記された位置にライトグリーンの帯が付いていた。床下は大きなユニットクーラーとディーゼルエンジン発電機が目立つ存在であった。 オロネ1030〔大ミハ〕 大分運転所 S52(1977)/9/8