転轍器

古き良き時代の鉄道情景

20系“富士”15輛編成


 日豊本線寝台特急の歴史は昭和38年6月、“みずほ”の附属編成に簡易電源車マヤ20を伴っての大分乗入れで始まる。翌39年10月、“みずほ”の大分編成が単独運転となって東京〜大分間“富士”が誕生、晴れて基本編成が大分入りする。40年10月は大分〜西鹿児島間が延長されて最長距離の特急となる。42年10月、大分電化で門司〜大分間の牽引機DF50はED76と交代、そして43年10月、下関回転車が大分延長となり念願のフル編成が大分まで見られるようになった。編成はカニ21+①ナロネ21②ナハネ20③ナハネ20④ナハネ20⑤ナシ20⑥ナハネ20⑦ナハネフ23(東京〜西鹿児島)⑧ナロネ21⑨ナハネ20⑩ナハネ20⑪ナハネ20⑫ナハネ20⑬ナハネ20⑭ナハネフ22(東京〜大分)の15輛編成であった。 日豊本線東別府〜西大分 S44(1969)/6

 ED7610〔大〕の牽く8レ“富士”は西大分を通過し別府湾の景色が始まるS字カーブにゆっくりと入って来た。15輛もの編成が眼前を通過するのにかなりの時間を要した印象が残っている。東行の憧れのブルートレインを満喫、流れ去るカニ21のテールサインをカーブの先、見えなくなるまで見送る。ここ別大海岸は山側より複線化時の新上り線、単線時代の下り線、大分交通別大線が三段構えに敷かれ幹線の様相を呈している。 日豊本線東別府〜西大分 S44(1969)/6

時刻表 昭和44(1969)年5月 日本交通公社