転轍器

古き良き時代の鉄道情景

宇島


 昭和40年代中頃、筑豊からの撮影の帰り、行橋から乗車する下り急行“ゆのか”の最初の停車駅が宇島であった。幾度かの通過で宇島構内は強烈な印象が残っている。宇島は2面3線の配線で、列車が海側3番線に入ると進行方向左側の車窓は広大な貨物ヤードを見ることができた。貨車で埋る構内はまるで北九州工業地帯鹿児島本線沿いの貨物駅と見間違うほどの規模を誇っていた。停車時間30秒のあわただしさからか、その情景をネガに残せなかったのが悔やまれる。「福岡鉄道風土記」(弓削信夫著/葦書房/平成11年刊)に宇島駅長の述懐談として「かつてはこの駅から、日発(日本発送電会社=現九州電力)、日本鋼業、大木坑木の3社に専用線が延びていました。そして毎日筑豊から石炭車が150輛も着いていました」と紹介されている。日発は昭和26年までの電力会社なので、その時代の貨物輸送事情の激しさを思い知らされる記述であった。「昭和32年版全国専用線一覧表」(トワイライトゾーンMANUAL7/レイルマガジン平成10年11月号増刊)には日本鋼業、九州電力、朝日木材防腐、豊前市、他個人名数名が記載されている。キロ程はいずれも短く、九州電力だけ0.6㎞で発電所の中まで延びていたのかもしれない。車窓からの景色の記憶は、貨車群のすぐ後方に高圧線鉄塔がそびえ建ち、発電所の様相を感じとっていた。 日豊本線宇島 H28(2016)/3/13

 駅の東西を結ぶ跨線橋から行橋方を見る。かつての貨物ヤード跡は駐車場になっていて面影は全く感じられない。駐車場の奥に、昭和40年代に見たのと同一かどうかはわからないが、高圧電線の鉄塔と、火力発電所独特の煙突が建っていた。石積みのホームは嵩上げの跡がわかる。跨線橋を渡った本屋側も貨物側線があったようだがこちらも駐車場に整備されていた。今でこそ宇島鉄道の名前は耳にしているが、広大な貨物ヤードを目にしていた頃は、この駅からかつて耶馬渓方面へ軽便鉄道が存在していた事など知る由もなかった。

 海側の階段途中から中津方を見る。跨線橋とレールで組まれたスレートのホーム上屋は国鉄時代の香りが漂っている。筑豊から大量の石炭車が着いていた時代は田川線からのキュウロクが牽いて来ていたのだろうか。上りか下りか、どちらがバック運転だったのだろうか、発電所へ石炭を降ろした後は坑木を積んでいたのだろうか、など当時の構内情景に思いを馳せ、郷愁に浸る。