転轍器

古き良き時代の鉄道情景

大分運転所のD60



 D60は幹線系で使用されたD50を丙線区へ投入すべく軸重軽減の改造が行われた機関車である。昭和20年代久大本線はC58と8620の走行線区であったが、輸送力増強と速度向上のため昭和29年から30年にかけてD60が大分に配備された。これより久大本線D60の歴史は始まるも、実質の稼働は軌道と橋梁の強化が完了した昭和31年4月からであった。
 初陣の10輛はD50改造後新配置の59・60・61・62・63・64・65・66・67・68であった。59・66は立石峠の補機として柳ヶ浦へ転出し、柳ヶ浦のD60は直方からの34を加えた3輛となる。68が郡山へ転出した後、直方からの21・22は池田からの70を加えて一時期豊後森配置となる。昭和35年3月、津和野から2・3が転入し2輛増となる。昭和36年豊後森配置車が大分に統合され、22を出水に出して昭和40年まで11輛(2・3・21・60・61・62・63・64・65・67・70)で推移する。出水の57が直方経由で転入し昭和40年以降12輛体制となる。昭和43年秋、2・3廃車の後は郡山から58・71が補充され12輛体制は変わらない。58は郡山装備のシールドビーム2灯の罐で異彩を放っていた。昭和44年からは減少に転じ、21・60が火を落して10輛に、そして69・71が直方へ転出し8輛(57・58・61・62・63・64・65・67)となって昭和45年10月のDL化を迎える。DE10の予備として3輛(62・64・65)を残して全機直方へ転出した。明けて昭和46年3月に62、11月に64・65が大分を後にして直方へ向かい大分のD60の歴史に終止符が打たれた。久大本線での17年間の活躍であった。延べ数輛は20輛、改造後新配置から廃車まで大分から移動することなく在籍したもの1輛(60)、新配置からDL化まで在籍したもの6輛(61・62・63・64・65・67)、大分で廃車になったもの7輛(2・3・21・60・70/59・66は柳ヶ浦)であった。

D6021
 D6021はD602・3なき後の最若ナンバー機であったが早くも昭和44年7月に廃車になっている。昭和27年D50133から改造され直方に配属の後、31年3月大分に転属以来ずっと久大本線で働いてきた。 1635レ 久大本線南大分〜大分 S44(1969)/5

D6022
 D6022の大分・豊後森在籍期間は昭和31年3月から36年9月までで、その後出水に転出、再び直方へ戻っている。「九州を走った汽車・電車」(奈良崎博保著/JTBパブリッシング/平成21年11月刊)に掲載された、昭和36年6月に久大本線で撮影されたD6022は、化粧煙突に火の粉止めが装着され全く印象が異なっていた。 筑豊本線直方 S45(1970)/8/3

D6034
 D6034はD50145から改造後直方へ配属、昭和31年11月柳ヶ浦へ転属し、D6059・D6066と共に立石峠の補機として昭和41年の新立石トンネル開通まで活躍した。再び直方へ戻り筑豊本線上山田線で石炭・セメント列車の先頭に立ち、昭和47年11月、直方で最期を迎えた。 1991レ 筑豊本線新飯塚 S47(1972)/3/30

D6057
 D6057は川崎製D5040からの改造で北海道は根室本線池田を振出しに鹿児島本線出水、筑豊本線直方を経て昭和40年10月に大分入りしている。D50のテンダはD50189まで20立方米形でD50190以降は12-17形が付けられていて、D6057は種車通り20立方米形であった。 大分運転所 S44(1969)/8

D6058
 D6058は昭和29年10月、川崎製D5097からの改造で誕生。紀伊田辺、郡山と移動し大分にはD602・3の廃車補充としてD6071と共に43年8月に転属してきた。郡山時代のシールドビーム2灯のまま活躍していたが、この年の秋には大形前照灯に換えられている。 大分運転所 S44(1969)/5

D6060
 夕刻の給炭線はC58とD60が数珠つなぎになって出庫を待っていた。手前から21時42分発由布院行648レを牽くD6060、18時55分発由布院行646レを牽くD6071と18時14分発幸崎行1533レを牽くC58112が待機している。テンダのライトを照らすのは59653で、構内入換小休止の58689と頭を寄せあっている。右奥に機関車搭載用の砂乾燥小屋が見える。D6060は川崎製D50152の改造で美しい化粧煙突を持ち、テンダは後部の切欠き部の大きい20立方米形を装備していた。昭和45年1月に廃車となった。 大分運転所 S44(1969)/9/30

D6061
 久大本線用のD60は昭和29年から30年にかけて10輛が大分に投入され、D6061はその内の1輛で昭和29年11月汽車会社製D50282からの改造機である。大分での活躍期間は16年におよび、昭和45年10月直方へ、47年11月若松へ転属し、49年8月の廃車まで筑豊本線在籍4年、改造後20年の稼動はD60一番の長寿であった。 大分運転所 S44(1969)10/6

D6062
 D6062は昭和29年12月、日立製D50229から改造後直ちに大分に配属されている。29年から30年に配属された60・61・62・63・64・65・67は昭和45年10月の暫定的DL化まで約15年間大分に君臨したナンバーである(60は45年1月廃車)。62・64・65は翌昭和46年の完全DL化まで大分に踏みとどまっていた。残った3輛のうち62は一足早く昭和46年3月に直方へ転出した。  大分運転所 S44(1969)/8

D6063
 D6063は川崎製D50351の改造でサンドボックスの形状は汽車製とは異なって丸みのあるタイプであった。昭和39年に撮影されたD6063(昭和40年代の蒸気機関車写真集/機関区と機関車22/タクトワン/平成16年5月刊)はきれいな化粧煙突で全く印象が異なる。 大分運転所 S45(1970)/9 

D6064
 D6064は汽車会社製D50283の改造で角形サンドボックスを持ち、キャブは2個窓、テンダは均整のとれた12-17形を付けている。 大分運転所 S44(1969)/6

D6065
 D6065は日立製D50191の改造で大分には昭和30年2月に配属されている。昭和33年に撮影されたD6065(日本蒸気機関車特集集成〔下〕/鉄道図書刊行会)は継足しの長い化粧煙突と通常デフレクタ装備でこの時の姿とは別機のような印象である。太いボイラとフロントデッキ上の大きな給水温め機は重量感を、給水温め器からの入組んだ配管は機械美を醸しだしている。 大分運転所 S44(1969)/8

D6067
 D6067は昭和30年3月、日立製D50228からの改造で当初大分配備10輛のメンバーである。門デフとスマートな短いパイプ煙突がマッチしていた。45年10月のDL化で直方に渡り筑豊本線で活躍し、昭和47年6月に廃車になっている。 大分運転所 S45(1970)/3

D6069
 D6069は昭和30年9月、川崎製D5033からの改造で根室本線池田、鹿児島本線出水、筑豊本線直方、日豊本線柳ヶ浦を渡り歩き、昭和42年10月に大分入りする。44年9月には直方へ転出しているので大分での在籍は2年であった。デフの形状が斜め欠き取りで58とよく似て遠目からも見分けができた。 筑豊本線折尾〜中間 S47(1972)/8/11

D6071
 D6071は川崎製D5095からの改造。昭和43年9月、郡山からD6058と共に大分へ転属している(D6058は43年8月)。形態が他機とは少々違い、テンダは12-17形の形状をしているが実は20立方米形、ボイラを跨ぐ梯子はキャブ寄りではなくてドームの間に設置された変則タイプといえる。昭和44年10月には直方へ転出しているので大分の在籍はわずか1年であった。水と石炭と砂の補給を終えた機関車群の上にそびえる巨大な給炭槽の元で灯す2つのたよりない照明が夕刻の機関区風景の雰囲気を盛りあげてくれる。 大分運転所 S44(1969)/9/30