転轍器

古き良き時代の鉄道情景

船尾の印象

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 船尾は昭和47年春に初めて通った際、車窓から見た工場内の光景が焼きついて忘れられず、翌48年に引き寄せられるように再訪した感動の地であった。上写真は再訪時の船尾の印象、下写真は47年、新飯塚発後藤寺行529D車内からの船尾の第一印象である。船尾は想像だにできなかったセメント工場の中の駅であった。

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 平坦な後藤寺線筑前庄内と船尾の間に山越えがあり、筑前庄内を出ると25‰の上りにかかる。サミットの入水トンネルを抜けると一気に下り、セメント工場の構内に入る。トンネルの車中で「船尾」とはどんな所なのか踊る心を抑えつつカメラを構える。景色が開けたとたん、巨大なホッパーの中にセフを最後に押し込まれた貨車の列が目に飛び込んできた。船尾の鮮烈な第一印象である。 529D車窓から見た石灰石ホッパーの威容 後藤寺線筑前庄内~船尾 S47(1972)/3/30

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「駅ところどころー九州の鉄道80年史からー」(毎日新聞社/昭和44年11月刊)に貨物発着トン数の番付が載っている。ベスト10駅は(昭和43年)①苅田港 ②石原町 ③黒崎 ④外浜 ⑤船尾 ➅上戸畑 ⑦西八幡 ⑧東小倉 ⑨香春 ⑩戸畑 と記載され石灰石・セメント関連の駅が多く占めている。写真は船尾を発車した529D車内から構内を見たところ。 79669〔後〕 船尾 S47(1972)/3/30

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 セラ編成に付くデフ無し、太い化粧煙突の69632〔直〕。コンプレッサーの息づかいが聞こえてきそう。麻生セメントの巨大な工場が白くそびえ、黒い機関車と好対照である。 船尾 S48(1973)/3/30

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 2輛のキュウロクが苅田港行7494レの組成作業を行っている。ホッパーから出てくる編成は石炭車を石灰石用に用途変更した麻生セメントの私有貨車ホラ1である。大きな丸形の「PORTLANDCEMENT」の社銘板が印象的。車体標記は「船尾~上戸畑間専用」となっていたが苅田港行に使用されていた。 船尾 S48(1973)/3/30

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直方と後藤寺の罐が背中合せでホラ編成を牽き出す。 69632〔直〕+39681〔後〕+ロセフ248+…

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 船尾はあたり一面真っ白なセメント工場の中にある。構内はとても広いが、旅客ホームは片側一面だけで駅というよりは、工場専用線の構内といった印象である。石灰石とセメントの積出駅で、貨物発着㌧数は九州で5番目、貨物収入では7番目にランクされている。旅客ホームの向かい側は麻生セメント専用線、起行寄り構内入口付近は日鉄鉱業専用線が延びている。田川線苅田港へ、糸田線伊田線筑豊本線鹿児島本線経由で枝光・上戸畑へ送られるホッパ車がキュウロクに牽かれて行ったり来たりの光景はたまらないものがあった。 S48(1973)/3/30

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 船尾駅下り側、起行寄りを見る。手前に出発合図機、後方に出発信号機が並んで建っている。一番手前が本線で、その次3線のヤードからは列車が出発できるようになっている。「線路オーライ指差喚呼」の標語が見える。本線は起行に向かって14‰の下り坂、その右側へ続くヤードは日鉄鉱業石灰石採取場である。