転轍器

古き良き時代の鉄道情景

C5717

f:id:c57115:20190508153407j:plain

 全盛期21輛もの多きを擁した大分運転所のC57は、幸崎電化後は7輛に激減、ヨンサントオのED74転入時にはわずか2輛になっていた。残った2輛は17と53で、佐伯1往復の仕業であったので昼間はどちらかが必ず扇形庫で眠っていた。昭和43年夏に初めて買った「鉄道ピクトリアル9月号(№214)」に急行“立山”を牽くC5717が掲載され、その姿は煙突に火の粉止めが付いて印象は大きく異なっていた。 C5717〔大〕 大分運転所 S44(1969)/8

f:id:c57115:20190508155348j:plain

 C5717は昭和40年10月にC57ー5輛が増備された時の1輛で、この時の移動は元国鉄Oさんの話によると、北陸本線富山(操)~糸魚川間電化と信越本線直江津~新潟間DL化による捻出ということであった。転出区は富山、直江津、新津、新潟で北陸、信越地域から日豊本線への移動はこの時と、昭和43年、敦賀から来たED74の例があった。そして昭和47年暮れは秋田、大舘から南延岡へD51の移動があり、日本海縦貫線とは機関車操配で縁があったように思う。 佐伯行1523レ 日豊本線大分~高城 S44(1969)/10/12

f:id:c57115:20190508153615j:plain

 1532レ 日豊本線高城 S46(1971)/7/25

f:id:c57115:20190508153658j:plain

 朝の佐伯行1523レは4輛編成、夕方の復路大分行1532レは6輛編成で客車運用の不思議を感じる。時刻表を見ただけでは復路の2輛増はどのような流れなのか皆目見当もつかない。  日豊本線大分~高城 S46(1971)/7

f:id:c57115:20190508153752j:plain

 臼杵駅の夕刻、上下3本の列車がホームを埋める。1番は1108D宮崎行急行“フェニックス”(宮崎20:38着)、2番はC5717〔大〕牽引の1532レ大分行(大分18:29着)、そして3番はDF50牽引の1521レ南延岡行(南延岡20:43着)である。残念ながらC57にだけしかカメラを向けていない。臼杵構内はこの時既に電化用のポールが建ち始めていた。後方の造船所のクレーンが港町の風情を醸し出している。 日豊本線臼杵 S46(1971)/8

f:id:c57115:20190508153923j:plain

 C5717〔大〕と会うのはこの時が最後となった。大分運転所配置2輛のC57は53が昭和46年3月に若松へ転出、17はこの後10月に宮崎へ転出し、佐伯往復1523─1532レはC58の受持ちとなる。 1523レ 日豊本線津久見~日代 S46(1971)/8