転轍器

古き良き時代の鉄道情景

野矢の交換

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 「鉄道ジャーナル昭和44年9月号」は西武鉄道のE851電気機関車が表紙を飾っている。この表紙と連動して記憶しているのがD50・D60の記事で、久大本線の事を調べる際はこの表紙の本に手が伸びるくらいに当時の記憶が未だに継承されている。筑豊本線久大本線の撮影ガイドの他に「鉄道写真新名所100景ー水分峠のD60ー」と題するグラフページがあり、峠越えに奮闘するD6058、牧歌的風景を行くD6057、そして野矢駅で交換するD602の写真に魅了された。

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 キャプションの「野矢の朝」は昭和43年8月の撮影でD602がまだ現役の姿で写っている。野矢で交換する上下列車の2条の煙が印象的で、忘れえぬ光景として脳裏に焼きついてしまう。 鉄道ジャーナルNo.28/昭和44(1969)年9月号(鉄道記録映画社)

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 昭和43年8月の野矢駅の旅客列車は7往復で、内1往復は気動車である。D60同志の交換は朝一番の623レと626レ、最終641レと640レがあった。通過の急行列車は久大本線通しの「由布」・「ゆのか」・「西九州」と、日田彦山線経由由布院折返しの「あさぎり(下り)」・「はんだ(上り)」・「ひこさん」・由布併結「日田」と計5往復が設定されていた。それに貨物列車2往復があって列車密度は少なくはなかった。

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 「野矢の交換」を乗車列車で味わう。キハ58から対向するD6061〔大〕の牽く鳥栖行を撮る。上り列車は由布院から25‰の上り勾配と4つのトンネルを制覇して意気揚々と野矢構内に入る。ホームはきれいに整備されて植木と花は手入れが行き届いている。私の乗車列車は野矢を出ると25‰で上り、サミットの水分トンネルから、小ケ倉、槐木、徳野のトンネルを一気に25‰で下り由布院盆地へと降りる。4つのトンネルはまだD60の煙が漂い、上り列車の奮闘の後が実感できた。 638レ 久大本線野矢 S45(1970)/6/5

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 D60接近の場面を撮った写真に貨物側線につながれたトラの列が写っている。「昭和40年代の蒸気機関車写真集」(タクト・ワン/平成13年刊)に野矢駅到着、出発の下り貨物列車を捉えた写真が掲載されている。それによると到着時にはなかったトラ5輛は出発時、機関車の次位に連結されていたので野矢発ということがわかる。積荷は近くで産出される珪藻土と思われ、野矢・豊後中村駅近辺の台地や谷間は珪藻土の層が連なり採掘場が立地していたと聞く。 ストラ56102 久大本線野矢  S45(1970)/6/5

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  蒸気機関車が姿を消して数年後、再び野矢を訪れる。客車列車はD60を引継いだDE10が先頭に立ち、未だ健在な時代であった。昭和53年10月時点で客車列車は豊後森以東で4往復、豊後森以西に3往復が運転されていた。 久大本線野矢 S53(1978)/11/29

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 構内下り由布院方を見る。遠くに見える上り場内信号機は腕木が下がっている。手前の出発信号機は2基設置されている。これは上り線から下り列車が出発できるということで、野矢折返しの列車は設定されていなかったので不思議に思っていた。蒸機時代のダイヤグラムを見ると野矢で下り急行列車の追い抜きがあり、このための出発信号機と考えられる。撮影時の時刻表を確認すると、鳥栖由布院行の普通列車を長崎・佐世保発別府行急行“西九州”が野矢で追い越していることがわかった。わざわざ由布院の手前で普通列車を長く停車させて急行を先に行かせるのは、由布院駅の3線が折返し列車で満杯になるのを防ぐための措置であったと推測する。

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久大本線列車ダイヤ(昭和46年3月25日訂補・大分鉄道管理局)より
 昭和46年の久大本線ダイヤを見る。19時台の由布院駅は大分からの到着列車644レ、下り貨物693レが停車して2線を塞いでいる。そこへ由布院止りの641Dが入ると本線・副本線3線が全て埋ってしまい急行が通れなくなるため、手前の野矢で641Dを退避させ急行を先に通すダイヤが組まれたのだろうと推測する。野矢下り出発信号機2基の謎はこのダイヤで解決する。  f:id:c57115:20190707153120j:plain

 野矢~由布院間は11Kmの駅間距離があり、野矢駅は列車交換が数多く設定されている。DE10牽引の客車列車が待っていると、水分峠越えで2灯ライトを点灯させたキハ55がエンジンを噴かしながらゆっくりと進入してきた。旧形客車、腕木式信号機、転轍手詰所も健在な良き時代であった。晩秋の高原の駅は、豊後森発大分行2635レと大分発鳥栖行634Dがすれちがう。 久大本線野矢  S53(1978)/11/29

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  鳥栖気動車は6輛編成、2輛めはクーラーが載っているのでキハ58であろうか。手前の客車はベンチレ-ターが一直線に並んできれいに見える。

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 上り列車がホームへ入ったところで上り場内信号機の腕木は上がる。

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 鳥栖行が先に出ると下り出発信号機の腕木が独特の音で下がり、大分行が動き出す。ジョイント音が遠くに消え、信号機の腕木は進行から停止の位置に返り、駅は元の静寂に戻る。