転轍器

古き良き時代の鉄道情景

C612

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 昭和46年夏、趣味誌で報じられた「C61が日豊本線へ入線」に大きな驚きを覚える。奥羽本線秋田~青森間の電化完成で青森機関区のC61は昭和46年10月、宮崎機関区へ配置換えとなった。当初は宮崎~鹿児島間で運用と伝えられたものの、ストーカーの関係で南延岡~南宮崎間の平坦線に変更されたと聞いた。C61の入線を知って、それならなぜ鹿児島電化時のC61を温存しなかったのだろうかと思ったが、奥羽装備のハドソンを初めて見てその威容に圧倒され、そんな思いは吹き飛んでしまった。  出区準備のDF50+C612 宮崎機関区 S47(1972)/1/5 

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 西鹿児島発南延岡行542レは宮崎から終着南延岡までDF50+C612の重連で牽いて来た。DF50が先に開放されたのでC612〔宮〕の顔を撮ることができた。奥羽本線装備そのままのC612はまるでここは青森駅か、と錯覚するくらいの雰囲気を漂わせていた。C612は日豊本線になじむ暇もなく昭和47年3月には全検期限を迎え、動態保続機として梅小路へ送られている。まさにこの時がC612との千載一遇の対面であった。  542レ 南延岡 S47(1972)/1/5

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 昭和46年10月、奥羽本線電化で青森機関区のC61、6輛全機(2・18・19・20・24・28)が宮崎機関区へ転属してきた。これで宮崎機関区配置17輛のC57(4・36・49・65・66・109・112・115・116・117・176・178・191・192・196・199)は2輛転出(176→人吉・191→鹿児島)、1輛転入(174←早岐)、4輛廃車(4・36・116・178)で12輛となった。 C612〔宮〕 南延岡機関区 S47(1972)/1/5