昭和45年夏、久大本線の蒸機列車は久留米口で6往復半、大分口で5往復が健在で大分運転所D60-8輛と豊後森機関区8620-5輛が運用されていた。10月のDL化を目前に落成したばかりのDE101000番台も運用に入ってきて、蒸機牽引列車は風前の灯となっていた。
鬼瀬は大分川の河岸段丘が狭まった所に位置し、川面から一段上に国道が、そこからもう一段高い築堤上に片面のホームが作られていた。線路の脇は切り立った岩山がそびえ崖っぷちを通る線形であった。 長笛一声で鬼瀬発車を確認、煙の軌跡を追いながら木陰から顔を出したD60を捉える。4つの動輪は撒かれた砂をじりじりと踏みしめながら着実に回転させて迫ってきた。
上り列車にとって鬼瀬は難所の始まり、岩肌を右にして25‰上り勾配に立ち向う。D60の咆哮は対岸の山に響かせながら櫟木トンネルに入るまで続く。
断崖絶壁の上まで煙を舞い上げ眼前を熱い鉄の塊が通り過ぎる。線路端の私は興奮の坩堝と化していた。
D6065〔大〕の牽く大分発豊後森行640レ 久大本線小野屋~鬼瀬 S45(1970)/8/31
地図で見ると鬼瀬駅から小野屋駅にかけては線路も道路も大分川の蛇行に従っているのがわかる。鬼瀬を発車した列車は上り勾配を進むにつれて高度をかせぎ、車窓から望む川の位置ははるか下方に見えてくる。櫟木トンネルを抜けると景色はなだらかな台地へと変わる。(国土地理院国土基本図から)