転轍器

古き良き時代の鉄道情景

鬼瀬 50系客車の頃

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 九州管内の50系客車の進出は、昭和53年3月門モコ配置で筑豊本線、昭和54年2月分オイ配置で日豊本線田川線、54年4月豊肥本線、54年10月熊クマ配置で鹿児島本線と続き、55年11月門トス・分オイに順番が回ってきて久大本線が旧形客車から50系客車に置き換えられた。久留米口で4往復、大分口で3往復が50系で運転され、機関車と客車は変われど客車列車は依然健在であった。断崖絶壁を見上げる築堤上でエンジンを噴かすDE10が赤い客車を牽いて現れた。 636レ 久大本線小野屋~鬼瀬 S56(1981)/5/5

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 豊後森発大分行2633レはDE10重連でやって来た。先頭のDE101207〔大〕は大分運転所新製配備メンバーではなく早岐機関区からの転属機である。DE101000番台は1001から1210までナンバーがある。昭和61年3月時点で九州管内のDE10は門司9、香椎45、熊本13、大分12輛が配置されていた。 久大本線鬼瀬~向之原 S61(1986)/11

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 鬼瀬駅を見下ろす河岸段丘の山は紅葉している。列車中心の撮影はそのような季節の移ろいにあまり頓着がなかったのは悔やまれる。鬼瀬を出たR300のカーブの先は左に見える国道がオーバークロスする地形になっている。 久大本線鬼瀬~向之原 S61(1986)/11

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 昭和62年新春は国鉄時代最後の時。河岸段丘の対岸から鬼瀬駅を望む。駅後方の岩山がいかに大きいかがわかる。いつもと変わりなくDE10重連が50系客車3連を牽いてホームに佇む。 久大本線鬼瀬 S62(1987)/2/26