転轍器

古き良き時代の鉄道情景

小森信号場

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 石原町から2キロ弱歩いたところに小森信号場があった。そこは石原町~呼野間で本線からセメント工場への専用線が分岐する地点であった。昭和46年訪問時はこの信号場を廃止すべく、石原町から直接セメント工場へ向かう1線増設工事の最中であった。専用線から本線に出たD51134〔門〕は注意喚起の汽笛を鳴らして接近して来る。右後方は分岐地点で本線と専用線用の2基の腕木式信号機が建っている。左後方は白くかすんだ工場らしき建物が見える。石灰岩採掘で白い山肌がむき出しになった背後の山が印象的であった。 日田彦山線石原町~小森(信) S46(1971)/8/10

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 下り気動車列車が目の前で突然停車する。信号閉塞か何かのトラブルかは定かではない。当時、直方気動車区にはキハ58800番台が8輛配置されて門鉄管内を運用されていたので、もしかしたら日田彦山線で黄色と朱色の塗分けのキハ58と会っていたかもしれないが、視線は蒸機ばかりで気動車に目は向いていなかった。 小倉発日田行725D  日田彦山線石原町~小森(信) S46(1971)/8/10

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 セメント工場へ入るホキ6700の編成が接近。逆向き機関車のテンダに保安要員であろうか、2人が添乗している。2基の腕木式信号機専用線方、左へのサインを出している。 753レ 日田彦山線小森(信) S46(1971)/8/10

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 石炭車に蓋をして横に引き伸ばしたような独特なスタイルのホキ6700は三菱セメント所有のセメントクリンカ専用車で石原町が常備駅であった。 ホキ6729他 

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 専用線に三菱セメントのホキ6700編成が入って行った後、本線上りは香春からの日本セメントホキ3500の編成が現れる。分岐地点前の本線上りと専用線脇に背の高い腕木式信号機がそれぞれ設置されている。手前の円形標識は下り列車用徐行解除信号機である。 D51199〔門〕 786レ 日田彦山線小森(信) S46(1971)/8/10

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 小森信号場は「停車場変遷大事典」(JTB)によると昭和35年9月開設、昭和46年10月廃止とある。訪れた46年8月は単独線工事の真っ最中、2ヶ月後に完成し分岐線は不要となり信号場は廃止となったのであろう。呼野側から石原町方向に上りセメント列車が進行中。2基の信号機は背の高い方が下り本線、右側がセメント工場分岐を現示する。

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 貨物列車の時刻など何も情報がなかった当時、「別冊週刊読売ー日本の蒸気機関車」(読売新聞社/昭和46年7月刊)巻末に特別付録として「SL全線時刻表」が掲載され、日田彦山線へ出かける直前に購入しこれを元に下車駅、撮影地の計画を立てた記憶がある。当時の「鉄道ジャーナル」は300円、この本は350円で手の出せる範囲であった。石原町より先が景色の良い所というのは後でわかったことで、列車効率が出かける際のプライオリティであった。この時刻表には「小森」と大きく記載され、列車の終着始発駅のような大きな貨物駅を想像していた。現地でわかったことは、そこは駅ではなく信号場で専用線の分岐点であった。列車本数の多さ、列車種別の豊富さは今もってこの時刻表を見ると胸躍る。