転轍器

古き良き時代の鉄道情景

EF15

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 昭和40年代初頭、周防灘を望む海岸線でデッキ付の機関車が貨物列車を牽く光景が記憶に残っている。あの時の機関車はEF15とわかったのは鉄道趣味誌を読むようになってからである。当時の山陽本線では岡山と広島に配置され貨物列車に運用されていた。古い雑誌に載った広告で鉄道模型社のEF15は憧れを抱くに充分な魅力があった。 EF15187〔新〕 東海道貨物線東神奈川付近 S49(1974)/10/15

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 旧形機関車が来れば幸運と気軽に出かけた線路端で、EF10・EF11・EF12・EF13・EF15が健在だった当時、一番多く出会ったのはEF15であった。輛数、運用数とも圧倒的に多かったからであろう。 EF1549〔高二〕 山手貨物線駒込付近 S49(1974)/7/21

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山手貨物線駒込付近 S49(1974)/7/21

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 押し込み形ベンチレーターが並ぶ電車とすれちがうEF15102〔新〕 東海道貨物線東神奈川付近 S49(1974)/10/15

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 EF1544〔新〕が牽くワラの次に見えるのは海上コンテナ積載のフラットなコキ1000のようだ。 新鶴見操車場 S49(1974)/10

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 EF15185〔新〕 ナンバーは切抜き文字式である。 新鶴見操車場 S49(1974)/10

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 地図帳に載っていない貨物線は趣味誌で取りあげられることもなく興味をそそる不思議地帯であった。浜松町から海側へ消える複線、汐留からさらに奥に延びる線路、亀戸から電車線を乗り越して行く貨物線、鶴見付近から地下へ消える複線、桜木町から見えたヤードと扇形庫等、枚挙にいとまがない。そしてこの大崎や品川と新 鶴見(操)を結ぶ品鶴線である。早朝、大崎から歩いて新幹線高架下に立つとEF65EF66の汐留行コンテナ特急、山手貨物線まわりのEF10・EF13・EF15の貨物列車、山下埠頭へ向かう自動車専用列車等が次々に行き交う光景を目にすることができた。 EF15117〔新〕 品鶴線蛇窪(信)付近 S49(1974)/10/24

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 EF1549〔高二〕 品鶴線蛇窪(信)付近 S49(1974)/10/24

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 高い位置にある東急池上線五反田駅のホームから目黒川を渡るタンカー編成を見送る。 山手貨物線五反田付近 S50(1975)/5

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 EF15124〔高二〕の牽くク5000編成 山手貨物線大崎付近 S50(1975)/5/30

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 大崎は山手旅客線と貨物線、品鶴線、品川電車区・大井工場出入線が平面と立体で複雑にからみあう一大ジャンクションが形成されていた。 EF15147〔新〕 山手貨物線大崎付近 S50(1975)/5/30

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 切抜きナンバーのEF15190〔新〕 国府津 S51(1976)/2

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 中央本線は八王子機関区のEF15がEF11・EF13と共に運用されていた。偶然捉えた貨物列車の牽引機はEF15で、一番運用数が多かったのであろう。中央本線はEF13が牽く客車列車に暖房車が付いていたのが印象的であった。 EF1513〔八〕 荻窪 S53(1978)/2

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 昭和48年版車輛配置表によるとEF15の配置は上越線高崎線用に長岡(転)34、東新潟20、高崎第二42、東北本線では宇都宮19、首都圏では東京6、新鶴見42、八王子10が配置されていた。阪和線に竜華3、山陽筋では岡山12で合計188輛が全てであった。私が偶然に出会ったEF15達は高崎二、新鶴見、八王子のナンバーであった。 EF1512〔八〕 中野 S53(1978)/2