今津駅は周防灘に面した中津平野が広がる田園地帯の中にひっそりと佇んでいた。上りのブルートレインが通る時刻がせまってきたので国道から細道に入り通りがかったのがこの位置であった。構内小倉方を望むと上り本線は特急“富士”が通過、カニ24のテールサインが小さくなり、下り本線は475系が停車している。 日豊本線今津 S53(1978)/8/29
単線時代の今津駅連動図表を見ると下り本線は片方向、上り本線と上下2番線は両方向から進入できる配線になっているようである。下り方の出発信号機は図面では3基記載され、写真では1番線側の2基が見えるが3番線側は架線柱に遮られて確認できない。日豊本線の複線化は撮影時の昭和53年時点で小倉~今津間は完成済で、以後区間ごと小刻みに進められて今津~柳ヶ浦間が完成したのは昭和58年になってからであった。
8レ“富士”が今津に接近する。ED7676〔大〕は南宮崎電化の際に登場した新しいナンバーである。寝台車も最新の24系25形の2段寝台に進化していた。 日豊本線今津~天津 S53(1978)/8/29
“富士”の変遷を簡単に振り返ってみる。
昭和38年6月 20系“みずほ”の誕生で付属編成が大分まで運転
昭和39年10月 “みずほ”大分編成は単独運転となり東京~大分間“富士”誕生
昭和40年10月 運転区間大分から西鹿児島まで延長
昭和42年10月 門司~大分間の牽引機DF50からED76へ
昭和43年10月 付属編成下関回転車が大分まで延長
昭和49年4月 大分~宮崎間の牽引機DF50からED76へ
昭和50年3月 20系から24系24形(3段寝台)に置換え 15輛から14輛編成に
昭和51年10月 24系25形2段寝台化
昭和54年10月 宮崎~西鹿児島間の牽引機DF50からED76へ
昭和55年10月 運転区間西鹿児島から宮崎までに短縮
8レ“富士”の通過を待って509M“日南3号”宮崎行が発車する。クハ455の顔は貫通ホロが付いていかめしく見える。475系基本7輛編成はこの時期サハシ455が外されて6輛になり、編成は下図でクハ455が宮崎方となる。 日豊本線今津 S53(1978)/8/29
4号車はグリーン車。GREENCARの四つ葉マークと淡緑色の帯が懐かしい。基本6輛編成は“日南”も“ゆのか”も共通で、たまに付属3連が付いて9連の時もあった。
日豊本線475系急行の変遷を簡単に振り返ってみる。
昭和43年10月 475系“ゆのか”博多~大分間で運転開始
昭和48年10月 付属編成が門ミフから分オイに転属
昭和50年3月 475系・457系(3電気式)全編成が分オイに配置
昭和50年3月 475系“日南”門司港・小倉・別府~大分・宮崎間で運転開始
昭和53年10月 サハシ455編成から分離 基本編成6連付属編成3連
昭和54年10月 475系“錦江”宮崎~西鹿児島間運転開始
昭和55年10月 “ゆのか”“日南”大幅削減 “錦江”全廃
昭和57年11月 475系急行列車全廃(特急にちりん格上)