転轍器

古き良き時代の鉄道情景

オハネフ25110

 “富士”の大分回転車、付属編成が留置されているのを何気にスナップしていた。緩急車はそっぽを向いた不思議な組み方ではあったが気にもせず時の経過とともに忘れ去られていた。前掲、今津で撮った“富士”をアルバムに載せたのを契機にこの『何故』を古い趣味誌をめくって調べてみた。

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 新幹線博多開業の昭和50年3月、20系“富士”はニューブルートレイン24系に置き換えられ、さらにその翌年には2段寝台の投入で24系25形へと進化を遂げている。その際に登場したオハネフ25はその後編成の組み方を柔軟にするため向きを固定にしたオハネフ25100番台が製造されている。「鉄道ファン276(昭和59年4月号 )」ブルートレイン特集は『緩急車を全て電源車とは反対向き固定の一種類に統一したため、車掌室は全て一方を向く妙な感じ』と記述していた。 オハネフ25110〔南シナ〕 大分運転所 S52(1977)/9/8

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 大分落し7輛編成全景を見る。オハネフの向きを固定しているので編成の通路と窓の高さが揃って美しく見える。方向幕は折返し東京行にセットされて帰路の準備は整っている。趣味誌によると、オハネフ25はその後昭和52年から55年にかけて車輛運用の便宜を図るため、また途中駅での分割併合作業のため再び両渡り構造として方向転換が可能な200番台が増備されている。 “富士”付属編成 大分運転所 S52(1977)/9/8

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 オハネフ25100番台の向きの意味は理解できたが、では付属編成分割側のオハネフ25100番台がいつまで使われたのかは定かではない。昭和51年から53年にかけて趣味誌に掲載された編成表はオハネフ25200番台と記載され、100番台から200番台に切換えられたのはいつ頃なのか興味の湧くところである。昭和56年に撮った付属編成の緩急車はオハネフ25200番台で、基本編成の寝台側に対して通路側が反対になり窓が揃っていないのがよくわかる。 オハネフ25207〔南シナ〕 日豊本線西大分~大分 S56(1981)/2