転轍器

古き良き時代の鉄道情景

哀愁のデロクマル

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 汽車の写真を撮りに初めて大分運転所を訪れたのは昭和44年春。時すでに動力近代化の波は押し寄せ、日豊・豊肥・久大の各本線でかろうじて残った大分・熊本・南延岡の機関車達を見ることができた。なかでも久大本線はDL化目前の時でわずかな期間でD60を撮ることができたのは幸運であった。ヨンヨントオの前日何かが起きるのではないかと学校が終わるや否や運転所へ直行、その帰り道に由布院行を見送る。ただ押すだけのコンパクトカメラはD60の輪郭とヘッドライトの明りだけは何とか捉えてくれていた。 由布院行644レ 久大本線南大分~大分 S44(1969)/9/30

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 昭和43年8月に郡山から転属してしてきたD6058は撮影時はまだ郡山時代のシールドビーム2灯の姿であった。 大分 S44(1969)/4

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 久大本線を西に向かう17時、18時、21時代の上り列車は全て由布院行であった。3輛のD60由布院で駐泊、翌朝1輛はそのまま鳥栖行、2輛はバック運転で大分へ戻る運用であった。狭い由布院構内に3本の編成が置かれ、3輛のD60が駐泊する光景が日常という誠に良き時代であった。 由布院行644レ 久大本線南大分~大分 S44(1969)/8

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 訓練運転用に高松から借入れたDE10はこの春に見ていたのでもしかしたら久大本線D60はヨンヨントオで終わりかと疑念を抱くも10月以降も変化はなくひとまずは安泰であった。真新しいDE10105〔高〕は老雄D60の頭に付いて意気軒昂な走りを見せていた。となりの線は後続の豊肥本線の牽引機が待機している。 豊後森行640レ 大分 S44(1969)/10/4

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 同じ場所で再びD6064〔大〕と会う。この列車は夏に撮った由布院行の1本前で、日暮れの早い冬季は16:15発が撮影できる最後の時間帯であった。脇道を走る自動車は正月飾りを付けている。 豊後森行640レ 久大本線南大分~大分 S44(1969)/12/31

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 鳥栖行638レ 久大本線鬼瀬~向之原 S45(1970)/1/3

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 天神山は本屋対面の片ホームなので降車客は列車の発車を待って本線を渡って駅前に出る構造になっている。D60発車時は恐怖を感じるくらいの迫力で、汽笛一声ボッボッボッ…ボボボーッと動き出したかと思うと空転の大音響をとどろかせ、再度リズムを取り直し規則正しいドラフト音で上り坂へ踏みだす。天神山から南由布までは25‰の上り勾配が続く。 豊後森行640レ 久大本線天神山 S45(1970)/1/1

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 D6061〔大〕の牽く6輛編成の鳥栖行638レ。このスジは回送の機関車が付いて重連になることが度々あったようだが出会うことはなかった。 久大本線南大分~大分 S45(1970)/5

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 DL化目前、このスジはDE10が頭に付くとわかってはいても、もしかしたらD60単機かもしれないと淡い期待を抱いて線路端に赴く。大分東部構内は5線が敷かれ、右から引上線、日豊・豊肥・久大の各本線、引上線と並ぶ。DE10+D60の列車は電気機関車検修庫を真横に見て、ED76群が駐機する後方の扇形庫、大きなガントリークレーンの給炭槽、キハが並ぶ気動車検修線の風景が間隙をかすめると7番ホームへ到着する。 豊後森発大分行1635レ 大分 S45(1970)/9

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 豊肥・久大本線が発着する第4ホーム6・7番線はホーム長152mで両線とも機関車はホームに収まらず、ホームから発車を撮ることはできない。敷地外から貨車の列と信号所の間のわずかな隙間に姿を現した640レを見る。機関車はデフと20立方米形テンダからD6057〔大〕と思われる。 大分 S45(1970)/5

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 古国府トンネル入口でD6063〔大〕の牽く由布院行644レを待つ。機関車は煙も上げず猛スピードで目の前を通り過ぎて行った。 久大本線南大分~大分 S45(1970)/9

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 昭和45年になると朝3本あったD60牽引の下り列車は豊後森発の1本だけになってしまった。大分口旅客の運用は➀644レ→由布院628レ→鳥栖645レ→大分、②640レ→豊後森623レ→大分、③638レ→鳥栖635レ→豊後森1635レ→大分の3往復であった。 D6062〔大〕は美しい化粧煙突から紫煙を上げドレンをなびかせてやって来た。 豊後森発大分行623レ 久大本線南大分~大分 S45(1970)/9

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  上りのD60牽引はこの日が最終日、あす30日の下り1635レで久大本線D60の歴史は幕を閉じる。D60の最後を見届けようと学校が終わると一目散にこの場所まで自転車を走らせた。由布院行644レの先頭に立つD6067〔大〕は前照灯を輝かせて接近してきた。67号機とはこの後直方で再会するとは思いもしなかったが、私のD60の感慨は久大本線でしかありえなかった。 由布院行644レ 久大本線南大分~大分 S45(1970)/9/29

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  昭和45年10月改正は全国的には呉線鹿児島本線の電化完成、高島線・八高線・足尾線等の蒸機終焉が伝えられていたのを記憶している。わが久大本線もDL化を迎えるが前出のような報道はなくひっそりとD60は消え去っていった。後でわかったことはDE10の新製が間に合わずD60は3輛が残留し、45年10月は暫定的DL化で完全DL化は翌年の46年10月であった。