転轍器

古き良き時代の鉄道情景

煉瓦の機関庫が載った2冊

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 はるか昔の小学生時代、列車の窓から見えた煉瓦の蒸気機関車車庫の光景が目に焼きついている。大きな中継駅にあるその機関区は柳ヶ浦機関区。配置のD50とD60は本線の貨物と立石峠の補機運用に就き日豊本線の要衝を守っていた。昭和42年の電化で機関区は廃止、蒸気機関車は転出、廃車で姿を消してしまった。後年ここを通る度にあのおぼろげな記憶の煉瓦の機関庫のことを思わずにはいられなかった。数々の鉄道関連の書籍や写真集を見るも、あの脳裏に焼きついた煉瓦の機関庫が写った写真と出くわすことはなかった。そんなある日、本屋に立ち寄った時、「SLグラフィティ 遥かなるドラフトの響き」(中村由信著/新潮社/昭和60年12月刊)という文庫本サイズの一冊に目がとまりめくって見た。北から南へ撮影地をレイアウトするその間に随筆のページがあり、何とそこに煉瓦の庫の写真が載っていた。探し求めていたものと出会えた喜びは筆舌につくしがたくその1枚の写真のためにこの本を買ったのはいうまでもない。あのおぼろげな記憶は確かであったとその写真を何度も見直し、D50とD60が活躍した当時に思いを馳せる。

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 インターネットが手軽にできるようになった平成の時代、いろんなデータや画像をパソコンで閲覧できる時代へと変わってきた。WEB上で探して出くわしたのが「キネマ旬報増刊蒸気機関車2号」(キネマ旬報社/昭和42年10月刊)であった。運よく最後の在庫で多少高価ではあったが通販で手に入れた。「電化の波で蒸機の消える柳ヶ浦機関区を訪ねて」の記事での写真は、まさに私が車窓から見た同じ位置の煉瓦の庫で感激であった。昔見たあの光景が写真に残っていてそれを見ることができたという、ある意味贅沢な願いがかなった、と実感している。長年覆いかぶさっていた霧を掃ってくれた2冊である。