転轍器

古き良き時代の鉄道情景

柳ヶ浦機関区跡

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 柳ヶ浦駅は周防灘に面した広大な宇佐平野を流れる駅館川の左岸に位置する。どこまでも続く穀倉地帯の先に駅の跨線橋や建物が見える。「キネマ旬報増刊蒸気機関車2号」(キネマ旬報社/昭和42年10月刊)に掲載された電化前の柳ヶ浦機関区のレポートから右端の建物は機関区本屋ということがわかる。電化から17年が経過していたが蒸機時代の姿と変わらず健在だったのがうれしい。そこからホーム跨線橋付近までの間に給砂塔・給炭台・煉瓦台座の給水塔が並んでいた。D50やD60の煙が上がる往時の光景が目に浮かぶ。 日豊本線柳ヶ浦 S59(1984)/7

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 豊州鉄道によって行橋から柳ヶ浦(当時は長洲)まで開通したのは明治30年であった。明治の時代に建設された機関庫は重厚な煉瓦の矩形庫で行橋は4線、柳ヶ浦はそれを半分にしたような2線構えで煉瓦の外観はよく似ていた。また構内配線も、転車台、矩形庫、貨物ヤードの配置も規模こそちがうが行橋と瓜二つと思う。機関区裏側の側線は休車の機関車が置かれ、行橋ではC50が置かれていたのが思い出される。 日豊本線柳ヶ浦 S59(1984)/7

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 機関区跡は蒸機時代の面影が漂う建物が残っている。後方のヤードはバラスト散布のホキ800が並んでいる。ホキ800は柳ヶ浦駅常備なのでここを基地としているものと思われる。

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 駅構内を見る。本屋寄り貨物上屋も貨物側線も健在であったが稼働している様子はなく貨物取扱いは既に廃止されているものと思われる。貨物輸送の合理化が行われた昭和59年2月改正で分鉄管内の貨物駅は8駅(西大分・鶴崎・幸崎・佐伯・延岡・南延岡・細島・高鍋)に集約された。 日豊本線柳ヶ浦 S59(1984)/7

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 役目を終えたDE10が3輌、機関区跡に静かに佇んでいた。左のDE101019(汽車製造)は昭和45年4月、久大本線無煙化用として大分へ新製配備された。真ん中のDE101173(川崎重工)は昭和47年4月、豊肥本線無煙化用として大分へ新製配備された。右のDE101023(汽車製造)はDE101019同様久大本線投入で昭和45年5月の新製配置であった。蒸気機関車と交替した彼らもわずか14年で機関車の牽く列車が無くなるとは思いもしなかったであろう。最後を迎えるDE10がかつてのD50の居城に現れたのも時代の巡り合わせであろうか。