転轍器

古き良き時代の鉄道情景

C57191との邂逅

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 東九州の要衝、大分運転所は電化前、日豊本線のC57を最大21輌擁したパシフィックの一大基地であった。そんな全盛期を彷彿させるような光景に出会い固唾を呑んで状況を理解しようと立ち止まった。撮影時C57は1次形2輌(17・53)だけの配置で、まるで形式が違うのではないかと感じる4次形の雄姿に圧倒されてしまった。昭和45年4月時点での日豊本線C57の分布は大分2、宮崎17、鹿児島7の配置で佐伯~延岡間を除く区間で運用されていた。宮崎機関区のC57が何故大分に居るのか、その答えは歴然としてDF50の不足もしくは不具合で宮崎の機関車が代走し北上していた。 C57191〔宮〕 大分運転所 S45(1970)/9

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 戦後に製造されたC57は3次形(170~189)と4次形(190~201)があり、その違いは前者がそれまでの踏襲に対して後者はまるで別形式に見える密閉式キャブと船底形テンダが特ちょうであった。テンダから見るとC59のような雰囲気が漂う。コの字形をしたいかついデフステイも独特だ。 
 大分運転所のC57は昭和40年10月から約2年間21輌もの多きを数え、C57191はその時のメンバーであった。昭和22年誕生の後、手持ちの配置表で辿ると昭和25年4月鳥栖、32年11月鹿児島、36年4月長崎、40年大分と九州管内は鹿児島本線長崎本線佐世保線日豊本線を回ったようである。電化完成の昭和42年10月に宮崎へ転属し蒸機晩年の日向路を飾った1輌である。

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 扇形庫西端に沿う機待線で給炭・給水・転向を終えたC57191〔宮〕が待機している。この機待線はすぐには出区しない間合い時間の長い機関車が入る線で、今夜にも宮崎もしくは南延岡へ下るものと思われる。ネガに写った到着列車から撮影時刻は17時前後と思われる。当時の時刻表を開くとこれ以降の列車は19:11発佐伯行、21:49発佐伯行、1:27発寝台車付夜行鈍行西鹿児島行(夜行みやざきの前身)の3本だけであった。佐伯で駐泊し翌朝一番で南延岡へ行くのか、はたまたDFに従って一路宮崎まで直行するのか、いや貨物列車D51の次位か、残念ながら当時そのような思いは浮かばなかったようだ。C57191との邂逅は千載一遇の好機であった。 C57191〔宮〕 大分運転所 S45(1970)/9