転轍器

古き良き時代の鉄道情景

D51牽引の旅客列車

 C58なき後の大分運転所はDF50の予備機としてC57115が残ったが、その後旅客列車を撮りに出かけることもなくなったので動静は定かではない。蒸機列車は南延岡機関区のD51が牽く貨物列車だけになったので貨物の通過時刻に線路端へ向かい客レを追うことはなくなっていた。ところが実際は「旅客列車無煙化」は名ばかりでD51が旅客列車の運用についていた、という事実を今になって知り大きな衝撃を覚える。
 情報の少なかったあの時代、雑誌と新聞の記事は絶対的で「久大本線無煙化」の発表を真に受け、以降は久大本線へ向かうことなどなかったが、実は無煙化は暫定的で実際はD60は走っていたことを後で知り情報に踊らされたことを悔やむ。日豊本線旅客無煙化のアナウンスも同様で、素直に信じてしまった私は当時高校生で疑う余地はなかった。
 大分市の渡邊孝司さんから見せられた写真は、日豊本線電化前のあの時代、南延岡のD51が旅客列車の先頭に立っていた。それは長年DF50が担当していたと思いこんでいたのは幻想で、真実はDF50の合間にD51が救援していたのである。当時の動きを鮮明に記録されたことに感謝しつつ、48年経って事実を知った私はまるで浦島太郎のような心境に陥る。

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 D51361〔延〕の牽く5輌編成が停車。駅員がホームから飛び下りて慌てて乗車しようとしている親子を迎える様子が捉えられている。当時、DF50が牽引する上り旅客は6本設定されていた。
7:36 1522レ 佐伯発大分行
9:24 1524レ 南延岡発大分行
11:45 528レ 宮崎発大分行
15:44 530レ 西鹿児島門司港行(重連
18:14 1526レ 佐伯発大分行
19:20 532レ 宮崎発門司港
 宮崎発大分行528レは本来DF50牽引のはずであるが、季節列車7205レ“日南1号”(下り)と“日南2号”7206レ(上り)が運転されるお盆期間はDF50の不足でD51が充当されたのではないかと考えられる。 528レ 日豊本線大在 S47(1972)/8/16 撮影:大分市渡邊孝司さん

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 宮崎発の2560レはDF50牽引もD51牽引もどちらも実見している。運用の順番で交互になるのかもしれないが、D51+DF50の編成に度肝を抜かれる。DF50の故障か、どちらかが回送か、謎は深まる。D51871〔延〕は昭和47年12月に横手から転属してきた罐である。 2560レ 日豊本線幸崎 S48(1973)/8 撮影:大分市渡邊孝司さん

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 D51871〔延〕+DF50重連の貨物列車が退避する間にD51176〔延〕が牽く大分発都城行543レが入って来た。この列車も本来DF50牽引のはずであるが、この日はD51が牽いていた。この年も運転日限定の7205レ“日南1号”(下り)と7206レ“日南2号”(上り)の影響ではないかと思われる。 日豊本線幸崎 S48(1973)/8 撮影:大分市渡邊孝司さん

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 D51482〔延〕の牽く門司(操)発宮崎行貨物列車が幸崎を通過する。この列車は臼杵までノンストップのようだ。下り列車通過後、長時間停車のD51871+DF50重連はゆっくりと動き出す。幸崎交換の一連の流れはまるで真昼の夢を見ているようだ。 591レ 日豊本線幸崎 S48(1973)/8 撮影:大分市渡邊孝司さん

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 D511122〔延〕は昭和47年10月、羽越本線白新線の電化で遠く秋田・横手機関区から南延岡機関区へやって来た6輌のうちの1台である。副灯を付けたまま日豊本線での活躍は始まっていた。貨物運用が当然のはずであるが何とグリーン車オンリーの編成を牽いている。G鉄グラフィティ藤田高士さんにお尋ねしたところ、農協や旅行会社等の企画によるグリーン車の九州一周の旅、もしくは南九州周遊の旅ではないかとのお返事であった。鉄道ピクトリアルNo.334国私鉄の団体輸送特集に掲載された「国鉄における団体旅客営業の概要」によると、大口団体では専用臨時列車の最低輌数は通常グリーン車・寝台車は5輌、普通車は6輌とある。日向路で撮影されたC57の牽く5~6輌のグリーン編成をよく見かけていたが、特定の日だけ走る臨時列車であるので牽引機は都合のつく罐が指定されたのであろう。幸崎駅での千載一遇の好機を捉えた貴重な記録といえる。 日豊本線幸崎 S48(1973)/8 撮影:大分市渡邊孝司さん

 

 私が知っている南延岡のD51が旅客列車を牽くのは(1)大分間合い時間の下郡(信)回送列車、(2)上り貨物列車に客車1輌を付けて直見~直川間だけ営業列車とする生徒輸送の4592レ、(3)早朝佐伯から客車2~3輌付けて南延岡へ向かう混1553レ、(4)昭和48年暮れから49年年明けにかけて運転された“高千穂51号”であった。

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 大分~下郡(信)間の客車回送は大分運転所の機関車C58と8620の仕事であったが、南延岡機関区のD51が本線運用の間合いに豊肥本線を走り大分電車区に入っているのに驚かされた。何気なく撮った写真は編成をよく見ると号車札と愛称サボが入っているので夏の臨時列車と思われる。期間限定の列車運用は牽引機も通常仕業外の機関車が回されるのであろう。 D51485〔延〕 大分電車区 S44(1969)/8/11

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 気になって翌日も同じ列車をキャッチしているが、南延岡のD51ばかりに気をとられて編成のことは全く無頓着であった。1輌目の号車札は12号車と読めるのでお盆帰省の“高千穂51号”かもしれない。大分電車区ができて2年目の夏、新たに造成された留置線脇はセイタカアワダチ草が生い茂っていた。構内無断立入の注意を受けると悪いので遠くから遠慮がちに撮って下回りが見えないのが残念。 D51880〔延〕 大分電車区S44(1969)/8/12

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 夕日を受けてナンバープレートを輝かせる機関車はシールドビーム2灯の裏日本縦貫線から来た機関車とわかる。6輌の身軽な編成は猛スピードで高城を通過して行った。 8512レ“高千穂51号” 日豊本線高城 S49(1974)/1 

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 D511122〔延〕が急行列車を牽く。本来C57のスジにD51を走らせるのだからかなり無理をしてスピードを保持しなければならなかったのではなかろうか。最後の蒸機牽引急行となった“高千穂51号”は6輌編成中5輌がハフで組まれて急ごしらえの編成ということがわかる。 8512レ“高千穂51号” 日豊本線大分~高城 S49(1974)/1/7

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 濃霧の朝、準混合列車を彷彿させる上り列車を捉える。直見~直川間ひと駅間だけ客扱いする4592レという貨物列車が設定されていた。D51361〔延〕が門司(操)行貨物列車に回送のオハニ61を従えてやって来た。1592レ 日豊本線大分~高城 S47(1972)/5/3