転轍器

古き良き時代の鉄道情景

D60の残留について

f:id:c57115:20201104202738j:plain

 昭和45年10月ダイヤ改正久大本線DL化達成で大分運転所のD60は新製DE101000番台車に置き換わる日であった。9月はD60の最後を記録しようと足しげく通うもののDE10が先頭でD60の顔は運転所に行かないと撮れなかった。D6065〔大〕は機関車線突端の停止位置から駅構内の接続線へ進んでいる。複雑な転線で久大本線ホームに据えられている客車の先頭に付く。 大分運転所 S45(1970)/9
 後方の客車は「大分鉄道管理局教習車」の標記の入った電気機関車用の教習車で、昭和45年5月小倉工場でスハニ351から改造されてオヤ3352〔分オイ〕となり大分運転所へ配属されている。

f:id:c57115:20201104202849j:plain

 D6061は昭和29年11月汽車会社製D50282からの改造機で、サンドボックスは汽車会社製の角ばった形状がよくわかり、テンダは均整のとれた12-17形が付いている。ターンテーブルから放射状に広がる線路群はとても美しく見える。 大分運転所 S45(1970)/9

f:id:c57115:20201105161259j:plain

 新製DE101000番台車が続々到着する。本線走行までの間はD60のねぐらを間借りしている。久大本線のDL化は以前からわかっていたが9月初旬の新聞で「なごりおしや汽車ポッポー久大線も今月限り」の見出しが踊っていた。 大分運転所 S45(1970)/9

f:id:c57115:20201104203036j:plain

 扇形庫に並ぶ各本線の雄。左から久大本線D6062〔大〕、日豊本線C5717〔大〕、豊肥本線C58105〔大〕。 大分運転所 S45(1970)/9

f:id:c57115:20201104203139j:plain

 9月末、いよいよD60最後の時がやってきた。D60牽引は上りが9月29日、下りが9月30日をもって終了となった。扇形庫は手前からD6065〔大〕、D6063〔大〕、C5753〔大〕が並んでいる。D6063〔大〕はこの日豊後森でお別れ式、大分到着時にさようなら蒸気機関車のセレモニーが行われ蒸機最後の牽引機を務めた。 大分運転所 S45(1970)/9/30
 中学生だった私はこの日がD60の最後と思い暗くなるまでD60の前で別れを惜しんだ。久大本線からD60が居なくなるのは残念の極みであった。新聞報道はこれが事実であると完全に信じ込んでいた。当り前であるが…。

f:id:c57115:20201104203252j:plain

 開けて10月、8輌のD60(57・58・61・62・63・64・65・67)は姿を消しているか気になって扇形庫を見に来た。10月4日D6061、5日D6063、6日D6067、7日D6058、8日D6057が既に直方へ旅立っていた。が、まだ居る。19番線C58105のとなり、18番線D6065、17番線D6062が見える。 大分運転所 S45(1970)/10

f:id:c57115:20201104203403j:plain

 22番線にD6064も居る。直方へはいつ頃行くのだろうか。 大分運転所 S45(1970)/10

f:id:c57115:20201104203436j:plain

 D6062は臨検の札が立ち蒸気を上げている。撮影時は9月30日限りでD60は終わりと思い込んでいたので整備中の姿も不思議に思わず、以後扇形庫へ立ち寄ることも少なくなった。D60残留のことは機関車番の人に聞いたか、状況から察知したのか定かではないが、実はD60全てを置き換えるだけのDE10は揃わず、D6062・D6064・D6065の3輌は大分へ踏みとどまるとのことであった。あの新聞報道は何だったのだろうか。自分なりに久大本線昭和45年10月改正は暫定的DL化と呼ぶことにした。この写真の撮影日は5輌のD60が全て直方へ行った後だったので10月8日以降と思われる。 大分運転所 S45(1970)/10

f:id:c57115:20201104203552j:plain

 後になってD60の運用が明らかになった。大分側は早朝深夜の時間帯で撮影はできなかった。残留3輌のうちD6062は昭和46年3月に、D6064・D6065は11月に直方へ転属となり大分運転所D60はこの時点で終焉となる。DE101031~1033の3輌が10月に落成したのでそれに呼応したものと思われる。

f:id:c57115:20201104203643j:plain

 昭和45年10月以降久大本線からD60は退いたものと思いこんでいた。早朝5時過ぎに聞こえる豊後竹田行貨物列車のC58のドラフト音はいつものことであったが、時々そのドラフト音が間隔をあけて二度聞こえることがあった。C58とは別の響きでそのうちD60はまだ走っているのではないかと思うようになってきた。ーD60は時々走っているーの確信は深まってくるものの早朝深夜の時間帯で写真を撮りに出かけることはなかった。そんな思いを抱いていた夏休みの早朝、明るくなる時刻にD60期待で線路脇に立つ。濃い朝霧の中、白い前照灯とオレンジの表示灯を輝かせたDE10の機影が突如視界に現れた。願いかなわずD60は来てくれなかった。 DE101023〔大〕 694レ 久大本線天神山~小野屋 S46(1971)/8/13

f:id:c57115:20201104203812j:plain

 D60が来るとわかっていた訳ではなく偶然にD60を見かける。前出のダイヤではなく豊後森発大分行1635レのDE101018〔大〕の次位に回送のD6065〔大〕が付いていた。南大分構内は交換設備も貨物側線も撤去され、D60の牽く列車同士が交換していた時代が嘘のような寂しい光景に変わり果てていた。 久大本線南大分 S46(1971)/8
 この年の秋、D6064・D6065の残留2輌は直方へ行き配置表から大分配置のD60は姿を消す。久大本線の完全無煙化は1年遅れで達成された。