転轍器

古き良き時代の鉄道情景

高崎山別院前 大分交通別大線

 不等辺三角形の形をした標高628mの高崎山は別府湾につき出るようにそびえている。猿で有名な高崎山自然動物園の最寄りに別大電車の別院前停留所が設けられている。昭和28年3月、猿の餌付けに成功して開園、さつまいもを求めて猿が餌場に出るようになり国内外からの観光客で賑わうようになった。「大分交通40年のあゆみ」(昭和60年4月刊/大分交通株式会社)によると、観光客増加の利便を図るため、1)2区間以上乗車した乗客に別院前の途中下車を認める、2)別院前停留所ホームを拡張、3)折返し電車の引込線と待合所を建設、とある。出現した猿の数を知らせる「ただ今〇〇匹」の告知板は好評を博し昭和31年に発表された火野葦平の小説「ただいま零匹」のタイトルに取りあげられ一躍脚光を浴びた。

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 桜満開の別院前停留所は観光地とあって各方面の乗場案内を大きく掲げ、名物になった猿の「ただ今700匹」の看板が高崎山のお馴染みの構図として浸透している。春休みで観光客は多く別大電車はほんとうに廃止になるのか疑いたくなる光景である。仏崎で大分駅前行と交換した200形202はここでも大分駅前行と出会う。 別院前S47(1972)/4/4

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 電停待合所前に設置された告知看板「700匹」の数字が目を引く。亀川から来た大分駅前行は100形105であった。別院前停留所は昭和27年12月の開業で別大線では最後に設置された電停で、高崎山自然動物園は28年3月の開園であった。後方は高崎山の斜面で海にせり出す様子がわかる。 別院前 S47(1972)/4/4

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 別院前は観光シーズンの折返し運用に備えた待避線が大分寄りに1線設けられている。100形は昭和3年~7年にかけて16輌が川崎車輌で製造され、半数の8輌が密着連結器取付、総括制御に改造され150形に改番された。細いウインドシルのリベットが昭和ひと桁製の重みを感じる。前面の広告は大分側が日産チェリー、亀川側は大奥トルコ徳川が掲示され時代を感じさせられる。 別院前 S47(1972)/4/4

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 先ほどの105が大分駅前折返しで亀川駅前行となって再び別院前に姿を現す。後方の築堤、日豊本線下り線は別府折返し“火の山2号”くずれの豊後竹田行各停1746D7輌編成が駆け抜けて行くところ。 別院前 S47(1972)/4/4 

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 別院前の電車交換風景を横断歩道橋から見る。専用軌道に設けられた低いホームと乗場案内、「電車のりば」を掲げた駅舎風待合所、「手荷物一時預り所」の窓口、踏切警手小屋等のストラクチャーが良き時代の軌道情景を演出している。 別院前S47(1972)/4/4 

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 200形201がホームに入った後、タブレットを受け取って100形105が出て行く。横の国道を方向幕別府駅行を出した大分交通バスが併走する。電停待合所2階に掲げた「九州横断道路・九重高原・長者原、九重ハイランドホテル、大分交通貸切バスで」の看板は各都市の国鉄駅前で見かける「観光地〇〇は〇〇電車で」の私鉄案内と共通した趣きを感じる。