転轍器

古き良き時代の鉄道情景

白木海岸 大分交通別大線

 往年の紳士淑女に「かつて別大電車に乗ったことありますか?」とたずねると大概の人が「白木の海水浴場に行く時に乗った!」の返事が返ってくる。撮影時は海岸線の所々に松の木がまだ健在であった。

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 白木トンネルの上から別府湾大分方向を望む。オールドタイマー100形は快調にシーサイドコースをとばす。水平線に蜃気楼のように浮かぶ景色は新日鉄大分工場と積荷搬出入設備のシーバースである。別大国道を走る車はマツダキャロルのようだ。 159 かんたん~白木 S47(1972)/4/4

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 全面広告電車の300形は派手な塗装で異彩を放っていた。昭和29年日立製で301と302の2輌が在籍する。車体はスマートで細く見えるがヘッドライトは胸と頭の2灯、標識灯も左右2個備えた凛々しいマスクをしている。パンタグラフ装備車300形の導入を契機に従前の車輌の集電装置をトロリーポールからパンタグラフに取替えが行われた。 301 かんたん~白木 S47(1972)/4/4

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 別大電車の車体番号は昭和44年に大分駅前で撮った写真を見ると妻面左側に大きく標記されていた。その後広告看板は左側にも追加された為、ナンバー標記は車体裾部の補強板に変更されたものと思われる。ナンバーが小さくなったので遠くからは見えにくくなった。かんたんから単線になってSカーブをお別れ装飾を施した100形が通る。山側は石積みの日豊本線下り線の築堤で、上り線はそれより高い位置に敷設されている。115 かんたん~白木 47(1972)/4/4

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 100形が日豊本線下り線より低い専用軌道を軽快に進む。白木の先、仏崎に至る岬に松の木が健在なのがわかる。 112 かんたん~白木 S47 (1972)/4/3

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 家並が続く白木電停付近。かんたん~東別府駅前間は海が見える専用軌道を走る。電停間距離は、かんたん~白木1.7Km、白木~田の浦2.1Km,田の浦~別院前1.0Km、別院前~両郡橋1.8Km、両郡橋~東別府駅前0.7Kmで海岸線の距離は7.3Kmであった。 白木~仏崎 S47(1972)/4/3

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 遠ざかる電車は大分駅前行でカーブを曲がった先に白木停留所がある。形の整った一本松が電車を見送っているようだ。脇をすり抜ける車はトヨタパプリカか、いすゞベレットか、ダイハツベルリーナの何れだろうか。 白木~仏崎 S47(1972)/4/3

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 昭和25年7月7日付の大分市報(大分市公式ホームページから)に白木海水浴場の事が載っているのを発見した。「白木海水浴場開場」のタイトルで記事は「市民に多年親しまれた白木海水浴場も大分交通株式会社の手で本年より脱衣場、ブランコ、遊動円木、鉄棒、飛込台等の設備が完成し7月5日より開場されました。大分からの電車賃金は往復11円(5割引)、学生8円50銭(6割引)で、大分より白木行が増発され又納涼大会等の催し物も計画されている。夏に鍛えるため理想的なこの海水浴場の利用を皆様にお勧めします(教育課)」と綴られている。大手私鉄が沿線の宅地、商業、娯楽施設等の開発を手がけてきたのと同様、地方の鉄道会社も沿線の資源開発で躍進を図っていた事がうかがわれる。
 また下2段の大分交通の広告は手書きガリ版風の趣きで懐かしさを覚える。海水浴は軌道別大線は「施設完備の白木へ」、鉄道国東線は「週末には奈多海岸へ毎日曜直通列車運転」のそれぞれのキャッチコピーに強烈な印象が刻まれる。あの時代、行楽は列車や電車で行くのが当り前であった。古き良き時代のテイストが漂う宣伝に感激した。