残念ながら京浜急行の車輌は撮っていない。国鉄線撮影の際にカメラを向けた唯1枚のスナップが残っているだけだ。今振り返ると何故撮らなかったのか後悔の念に苛まれている。 品川~北品川 S49(1974)/10/17
何故か「高架化完成新馬場駅開業記念」の記念入場券・乗車券のセットは所持していた。これは4枚の切符の入った封筒式入れ物。封筒の窓は中に収まった切符のナンバーが見えるようにできている。
1000形と新馬場駅の駅名標をあしらった入場券。この時代はまだ新駅も琺瑯看板が使われていたのだろうか。
裏面の説明を記す。「北品川~青物横丁が高架になりました 8カ所の踏切が立体化」京浜急行では、環状6号線と当社線との立体交差工事と併せて、昭和46年11月から北品川~青物横丁間(約1.3㎞)の高架工事を進めてまいりましたが、昭和51年10月15日この区間が高架に切替わり、8カ所の踏切が全て立体交差となります。また、これと同時に北馬場、南馬場の両駅を統合し中間に誕生したのが新馬場駅です。
京急電車は八ツ山橋を渡り踏切を通り過ぎると急加速、フルスピードで高架線を走り抜けるイメージがある。地平時代の旧北馬場駅、南馬場駅と高架線新馬場駅がうまくレイアウトされている。
品川から雑色までの乗車で思うことは途中の独特な駅名の由来を想像することであった。
北品川:品川から南へ向かうのにどうして「北」になるのだろう。
新馬場:読みは「しんばば」ではなく「しんばんば」。
青物横丁:野菜市場と関連?横丁も興味を惹かれる。
鮫洲:海産物と関連?
立会川:競馬場の近くとは知らなかった。
大森海岸:海岸線は近くにあるのだろうか。
平和島:海が近い、工場地帯のイメージあり。
大森町:国電大森駅のすぐ近く?
梅屋敷:何とも言えない響き。屋敷の続く通りを想像した。
京浜蒲田:空港線の旧形が大胆に大きな道路を横切っていた。
雑色:多摩川の土手に色とりどりの草が生えているのか。
等々思いをめぐらせると各停でも飽きない乗車時間であった。
時々2つ扉の600形を見ることがあった。クロスシート車は憧れで国電で言えば153系に当り長距離を乗る際はこれでなければと思っていた。
一度だけ三崎口から品川まで乗車したことがあった。期待は600形に乗ることであったが残念ながらロングシートの1000形で旅情を味わうことはできなかった。列車種別「快速特急」は京浜急行独自の名称ではなかっただろうか。
京浜急行で雑色まで乗車したのは“ピノチオ模型”へ行くためであった。初めて広告の地図を見た時の“雑色下車”の雑色とは一体何線の何処なのか、不思議な印象が残っている。「京浜急行1976-10-15」の記念切符は45年前の赤い電車に乗って模型店めぐりをしたあの時代を思い出させてくれた。 鉄道模型趣味№335 昭和51(1976)年5月号6ページ広告から