転轍器

古き良き時代の鉄道情景

西千葉

 「西千葉」と聞くと気動車王国千葉県、千葉気動車区、コルゲート板を纏ったキハ35等が思い浮かぶ。千葉気動車区が見えるのではないかと立寄ったのかもしれない。気動車王国は既に過去の話となっていた。気動車区はこの当時、加古川・岡山・松山・徳島・直方・竹下・東唐津が健在であった。

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 蒸機時代を思わせる傘式の構内灯と木製の架線柱が建つホームに「千葉」の幕を掲げた黄色い101系電車が入って来た。訪問時、総武本線複々線津田沼までで西千葉駅は地平ののどかな風景が展開していた。 総武本線西千葉 S51(1976)/2/25

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 中央本線から総武本線への緩行線三鷹~千葉間でカナリアイエローと呼ばれる黄色の101系10輌編成が運用されていた。「中野」の方向幕を出したクハ101の屋根上はベンチレーターだけでまだクーラーの装備はない。ホームを渡る味のある跨線橋、電柱を兼ねた木製架線柱、ホーム上の木造建屋に構内灯、枕木柵等、古き良き時代のストラクチャーが健在で新性能電車との対比がアンバランスに映る。中線は千葉方から千葉気動車区への入出区線で乗務員乗降用のステップが設けられている。 総武本線西千葉  S51(1976)/2/25 

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 房総特急は東京地下駅が開業した昭和47年夏に誕生し、新形183系で外房線は“わかしお”、内房線は“さざなみ”が東京~安房鴨川・館山・千倉で運行開始した。クハ183のフロントガラスに「9」のステッカーが張られているのは9輌編成という意味であろうか。  安房鴨川発東京行22M“わかしお1号” 総武本線西千葉 S51(1976)/2/25

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 東京地下駅から総武本線成田線鹿島線系統は東京~銚子が“しおさい”、東京~鹿島神宮が“あやめ”で運転されていた。ちなみに急行は地下駅に入線できなかったので“犬吠”は新宿~銚子、“水郷”は両国~銚子、“鹿島”は両国~鹿島神宮に設定されていた。上り“しおさい1号”と下り快速電車が一瞬目の前ですれ違った。クハ183のフロントガラスに「7」の標記。 1002M 総武本線西千葉 S51(1976)/2/25

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 上り線にDD51894〔佐〕が牽く日本オイルターミナルの青色タキ43000清一色編成が現れた。この先新小岩操車場へ向かうのだろうか。新金線を経由して田端操車場まで行くのだろうか。 総武本線西千葉 S51(1976)/2/25

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 タキ43000の列を追うと常備駅は倉賀野や八王子の標記が見える。京葉工業地帯の製油所から倉賀野ターミナルへ向かうのかもしれない。もしそうならどのようなルートを辿るのか想像はふくらむ。国電区間の同一線路を183系や165系優等列車113系快速電車、EF80やDD51の貨物列車が走る魅惑の鉄道地帯に迷い込んだひと時であった。 総武本線西千葉 S51(1976)/2/25