転轍器

古き良き時代の鉄道情景

九州横断線冬景色

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 阿蘇谷を訪れた翌朝は辺りがうっすらと雪化粧し、平地暮らしではお目にかからない光景に浮かれおぼつかない足取りで線路端に出た。ちょうど朝の列車がタイフォンを鳴らしてやって来るところだった。 726D 豊肥本線立野~赤水 S61(1986)/1/18

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 編成はキハ58+キハ58+キハ47の3連で真ん中のキハ58はナンバー700であった。キハ58700〔熊クマ〕は昭和40年10月、熊本機関区に新製配備以来この時まで熊本一筋の車で鹿児島本線肥薩線の急行に活躍したものと思われる。 726D 豊肥本線立野~赤水 S61(1986)/1/18

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 国鉄時代最後の冬に訪ねた由布院盆地大寒前の寒波で由布岳は冠雪、田んぼもうっすらと雪が残っていた。遠くから気動車のエンジン音とジョイント音がだんだん大きく聞こえるようになり、カーブを曲がったところで3輌編成が姿を表した。 2637D 久大本線由布院~南由布 S62(1987)/1/17

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 編成はパノラミックウインドウのキハ58+キハ65+キハ45の3連で、キハ45は昭和44年大分に新製配備された簡易郵便荷物車のキハ45601・602のいずれかと思われる。キハ45600番台はその後増備されることもなく2輌だけの存在であった。 2637D 久大本線由布院~南由布 S62(1987)/1/17

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 国鉄時代末期の久大本線ローカルは50系客車とかつての急行運用のキハ58や65が使われていた。キハ45とキハ53が未だ健在であったのに安堵する。  2637D 久大本線由布院~南由布 S62(1987)/1/17

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 由布岳をバックにと由布院盆地へ入ったとたんに吹雪となる。別府発博多行“由布4号”先頭のキハ58は愛称板や連結器、ジャンパ線に雪がまとわり付いていた。 604D 久大本線野矢~由布院 S62(1987)/2

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 “由布4号”別府寄りはキハ65が組まれていた。キハ65は電源の役目で編成の中間に組まれるのが通常であったがこの時は先頭に出ていた。ナンバーはキハ6520〔分オイ〕と読め、昭和45年2月大分に新製配備されて以来日豊・豊肥・久大の各本線で急行列車に活躍した。3輌めは一見グリーン車に見えるもこの時はモノクラスの編成でキロ28を格下げ改造したキハ285200番台車と思われる。  604D 久大本線野矢~由布院 S62(1987)/2

 キハ6520とは昭和45年6月に大分運転所で会って以来17年ぶりの再会であろうか。しかも国鉄時代最後の写真にキハ6520が現れてくれたのは、あの時の憧れの思いが通じたのであろう。