転轍器

古き良き時代の鉄道情景

若松機関区

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 筑豊本線の旅客列車は門ワカの客車と共に若松機関区所属機が担当してきた。時代とともに8620・C51・D50・C55・C57と変遷を重ね蒸機末期はD60D51へと移り変わっていた。独特なスタイルのデフレクタを装備したC5552〔若〕は鳥栖・大分・宮崎を経て昭和43年に若松へ来ている。47年3月には吉松へ渡り肥薩線吉都線日豊本線で蒸機時代の最後を飾っている。 若松機関区 S47(1972)/1/6

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 ハチロクは室木線と香月線、入換に使われていた。38634〔若〕はデフレクタが無いのでボイラがスマートに映り、缶受とフロントデッキの様子がよくわかる。 若松機関区 S47(1972)/1/6 

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 昭和46年7月、C5753〔若〕廃車による補充のため豊岡から転属したC5752〔若〕は集煙装置を付けたままで筑豊本線を走っていた。撮影時は撤去された姿であったが、この後3月には休車、5月に廃車されている。煙室扉とフロントデッキに書かれた数字が気になる。標識灯は左右でタイプの違う物が付いているように見える。 若松機関区 S47(1972)/1/6

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 撮影時はC55・C57が数を減らしD51が増殖する過渡期であったと思われる。庫に収まるD51225〔若〕は元早岐の罐であった。標識灯は筒形でもなく埋込式でもない珍しいタイプが付いている。 若松機関区 S47(1972)/1/6

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 D511150〔若〕は昭和44年の配置表を見ると鳥栖の配置であった。その時点で若松機関区にはD51の配置はなく、D50-4、C55-8の布陣であった。 若松機関区S47(1972)/1/6

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 形式入ローマン書体の大形プレートを付けた69646〔若〕はパイプ煙突ではあるが、デフ無し、エンドビームのっぺらの片側開放てこでひと昔前の機関車のような印象を持つ。 若松機関区 S47(1972)/1/6

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 北九州は早鞆の瀬戸から関門海峡洞海湾沿いにかけて大規模な貨物ヤードが展開していた。外浜・門司港・門司埠頭・葛葉・門司操車場・小森江・東小倉・浜小倉・上戸畑・枝光・西八幡・黒崎港・黒崎・折尾操車場・折尾とこの区間の海側の車窓は線路の帯が延々と続いていた。このヤードの入換機のことを北九州市の大塚孝さんにお訊ねしたところ、「上記外浜から西八幡までが門司機関区受持ち(昭和38年門司港区、昭和35年東小倉区それぞれ門司区に統合)でC11・C12・8620・9600が使われた」とのことであった。「若松機関区受持ちの入換・小運転は黒崎・折尾操車場(東折尾)・折尾で9600が使われた」ことと、さらに「若松はヤード入換・中継・桟橋に入換の甲・乙組があり9600と8620使用」とたいへん興味深い返答をいただいた。石炭輸送全盛期に思いを馳せる気概が膨らむ。
 ランボード回りに配置された機器がとても賑やかに見える29692〔若〕は長大な石炭列車に、藤ノ木石炭桟橋に、短絡線を通って鹿児島本線沿いの小運転にと活躍したであろう。 若松機関区 S47(1972)/1/6

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 大分運転所から昭和46年3月に転属したC5753〔若〕は筑豊本線での稼働はわずか4ヶ月と短く、若松機関区で再会した時はこの姿で残念であった。C5753が大分から若松へ転じたのは若松のC5553の廃車取替のためであった。C5553→C5753の交代劇は異形式同ナンバーという点でおもしろいが、実はC5553は日豊本線C55全盛時代の大分配置車で、C57大分進出により宮崎へ転じ、さらにヨンサントオのED74転入によるC57大分→宮崎の移動でC55宮崎→若松へ押し出された経緯がある。元大分のC55はC57に追われ続け、最後にバトンを渡したのはやはり大分のC57ということで興味ある機関車移動の図式である。私の整理では「C5553は昭和47年、故郷の大分に戻り大分市若草公園で静態保存された」と信じて疑うこともなかったが、平成時代になってその機関車はC5553のナンバープレートを付けたC5546であった、ということを知り驚愕し言葉を失った。 若松機関区 S47(1972)/1/6

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 機関区の給炭設備は直方・鳥栖・熊本・鹿児島で見られたタワー状のタイプと長崎・早岐・若松・大分のような逆三角形の炭槽とガントリークレーンの組合せ等さまざまなタイプがあった。若松のガントリークレーンのスパンは長崎・早岐・大分の物より短くやや小振りであった。台座が煉瓦の古い給水塔に砂置場と砂乾燥庫も見える。 若松機関区 S47(1972)/1/6

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 2棟6線の矩形庫と古い傘式の照明塔や電柱、だるま転てつ器が見える構内は格好の機関区風景といえる。後方は洞海湾を跨ぐ若戸大橋が見える。 若松機関区 S47(1972)/1/6