転轍器

古き良き時代の鉄道情景

私が出会った2輌のマニ60

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 突然現れた列車の中間に荷物車が連結されていたので咄嗟にシャッターを押した。ナンバーはマニ60599と読める。「鉄道ピクトリアルNo.702(平成13年6月号)60系鋼体化客車(Ⅱ)」に掲載された車歴表で、マニ60599は昭和37年11月、オハニ61196からの改造と記されていた。総数565輌の大世帯は鋼体化の車輌と(1)オハユニ63、(2)オハユニ64、(3)スハユニ61、(4)オハユニ61・スハニ62、(5)オハニ61・スハニ62からの改造と再改造の区分けがあることを知る。荷物扉間の窓の数や窓幅サイズの違いは種車によるものであった。 マニ60599〔福フチ〕 山陰本線綾羅木 S54(1979)/7

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 機関車の噴かすエンジン音が聞こえ慌てて線路端へ駆けよるとDD51626〔米〕が接近してくるところであった。慌ててカメラを撮り出してとりあえず撮る。マニ60が旅客車の間に入った乱暴な編成であった。追いかけぎみに撮ったマニ60599の妻面に記載された標記は形式マニ60、自重30.0t、「52-12 幡生工」と読める。福知山の車であるが検査は幡生工場で受けるのであろうか、と思う。 山陰本線綾羅木 S54(1979)/7

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 下関駅第1ホーム下り側の欠き取りにマニ60が入っていた。何故か端面だけのスナップでナンバーはわからない。広セキ標記が見えるのでこの当時の下関配置車、59・64・66・67・82・85・131・394・396・703の何れかと思われる。1位側の標記は形式マニ60、自重29.1t、「47-8 幡生工」とあり、自重は種車によって数値は違うようだ。2位側の銘板は日本国有鉄道とその下はよく見えないが改造工場ではないかと思われる。切妻のこの車輌の雨樋縦管は丸管が付いている。貫通幌と幌枠吊りの様子、貫通扉の細部と渡り板の収まり具合もよくわかる。 マニ60 1-2位側 下関 S49(1974)/5

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 車掌室側を見る。絞りの無い切妻の端面、奥まった乗降扉の位置、屋根からの雨樋の連携がよくわかる。屋根へのステップが付いている。検査標記横の2つの小さな票差しが気になる。上は直接車体に「40-7 下関転」と書かれ、下は「6-7(大きく)/4-8(小さく)下関所」と記載の用紙が差し込まれている。意味するものは何であろうか。 マニ60 3-4位側 下関 S49(1974)/5

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 客車端面のディテールが見たくて撮った1枚。端梁に見える装備は連結器を中心にエアホースや暖房管、ジャンパ栓受、開放テコ等であろうか。フックに掛けられたコードの用途が気になる。
 マニ60の詳細を調べて総数525輌は驚きであった。駅頭でよく見かけたような気がするが写真には残っていない。その内の2輌と出会ったのはとても幸運であったと思う。