転轍器

古き良き時代の鉄道情景

34年後の中判田

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 中判田行キハ125の運転室脇から前面展望を楽しんでいる。3線の鉄橋が架かる大分川を渡る。左から日豊本線、大分車両センター小運転線、豊肥本線が並ぶ。小運転線は日豊本線旧大分川橋梁の跡地に架橋されたもので、移設後しばらく煉瓦のピーアが残っていた。 R1(2019)/10/6

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 下郡信号場を通過。大分車両センターへの通路は小運転線と豊肥本線どちらからも出入りできる配線になっている。かつての下郡信号場は大分電車区の入出区線を分岐していた。 R1(2019)/10/6

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 滝尾駅進入。国鉄時代は島式ホームから1線撤去され、民営化後は再び交換可能な相対式に改められた。脳裏をよぎる光景は安全側線の辺りに農業倉庫が、5階建てアパートの付近に貨物施設と小さな駅本屋があった時代である。 R1(2019)/10/6 

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 キハ125は下り勾配を軽快に進む。中判田駅の遠方信号機が進行のサインを出している。滝尾~中判田間駅間距離6.6㎞の間に昭和62年2月に敷戸駅、平成14年3月に大分大学前駅が設置され、都会的な都市近郊路線の様相に変わっていた。 R1(2019)/10/6

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 終着中判田駅で下車。カーブしたホームは監視カメラ以外は昭和60年の時と変わっていない。下り線横の植込みも同じように見える。 R1(2019)/10/6

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 跨線橋から俯瞰するとカーブした構内がよくわかる。中継信号機は上り向けに2基、下り向けに1基建っているのが見える。側線はそのまま残され保線用に使われているようだ。貨物施設跡地は駐車場になっている。 R1(2019)/10/6

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 昭和60年の時は駅舎は撮っていないのでどう変わったかはわからない。きれいに整備、管理され、ホーム側は季節の美しい花で飾られていた。大正3(1914)年4月開業の中判田駅は平成26(2014)年4月に開業100周年を迎えている。 中判田 R1(2019)/10/6 

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 構内南側の貨物施設跡地。一部は駐車場に利用され、広大な敷地が続いていたことがわかる。坑木が積まれていたであろう往時の光景を想像する。  中判田 R1(2019)/10/6

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 LPガス貯蔵施設も事業者は変わっていたが健在であった。9600やC58に牽かれていた灰色のタサ5700はいつ頃まで運用されたのであろうか。「専用線一覧表」に掲載された所轄駅中判田は専用者:出光興産(株)、作業方法:手押し、作業キロ:0.1とある。100mの専用線は貨物側線の途中から分岐したのであろう。  中判田 R1(2019)/10/6

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 DE10の牽く50系客車を見送った昭和60年3月から34年の歳月が流れていた。有効長の長い上下線の分岐地点もあの頃と同じと思われる。 中判田 R1(2019)/10/6

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 竹中方を見る。場内信号機、勾配標もあの時と変わっていない。 中判田 R1(2019)/10/6

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 熊本起点136キロの距離標。時刻表のキロ程は中判田136.3と記載されている。駅中心はこの位置から300mということになる。 中判田 R1(2019)/10/6