転轍器

古き良き時代の鉄道情景

14系“くにさき”とキハ80系“にちりん”の終焉 昭和55年10月ダイヤ改正

 昭和55年10月ダイヤ改正は概ね特急の増発と急行の削減に終始した内容であった。特急“富士”が宮崎~西鹿児島間が廃止されたのを始めとして、関西対九州夜行急行は全廃された。九州関連は次の通りとなった。
 廃止 おおよど 阿蘇・くにさき 雲仙・西海 ぎんなん ちくご 西九州
 急行快速化 日田 あきよし あさぎり はんだ 佐多 錦江 大隅 
 減便 彗星 かいもん 出島・弓張 日南 ゆのか 火の山 えびの 
 増発 有明 かもめ・みどり にちりん

 日豊本線関連は14系客車使用の“くにさき”と19年間続いたキハ80系気動車特急の最後を飾る“にちりん”廃止の便りを聞き、記録するのは今しかないと慌てて重い腰をあげた。

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 新幹線博多開業前の対九州夜行急行の全盛時代には、雲仙・西海・天草・阿蘇・日南・桜島・高千穂と錚々たる名前が輝いていた。新幹線時代を迎えると夜行急行は14系にグレードアップし、長崎雲仙+佐世保西海、熊本阿蘇、大分くにさきの3往復がかすかにその孤塁を守っていた。“くにさき”は11輌編成でスタートしたが昭和53年10月に“阿蘇”と併結となり、大分行はさびしいかな5輌編成となった。“阿蘇・くにさき”の編成はマニ37〔大ミハ〕+熊本編成6輌〔熊クマ〕+大分編成5輌〔門ハイ〕の12輌で、東海道山陽筋では夜行急行の面目をかろうじて保っていた。夜行急行全廃の55年10月改正を翌日に控え、最後の“くにさき”を下り大分場内入口で見とどけた。 4201レ 日豊本線西大分~大分 S55(1980)/9/30

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 急行“くにさき”の歴史を振り返ると、昭和34年京都~熊本間“天草”に大分編成が併結されたのが始まりで、その後都城に延長され列車名は“日向”と改称され“くにさき”の名前は一旦消える。昭和42年10月改正で東京~長崎・大分間の九州観光号が“五島”・“くにさき”と改められ、再び名前が登場する。しかし1年後、寝台急行“べっぷ”に改称され2度目の消滅となる。日豊本線夜行急行は宮崎県ゆかりの高千穂・日向・日南が伝統的に続き、大分県ゆかりのくにさき・ぶんご・べっぷは単発であった。“くにさき”3度目の復活は昭和50年3月から5年半と最も長く、六郷満山と呼ばれる神仏の里、国東半島の名前を広めてくれた。
 方向幕は「大阪」を出す上り4202レ“くにさき” 下りは新大阪発上りは大阪行であった。 大分 S55(1980)/9/15

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 博多10:39発西鹿児島19:50着5025D“にちりん5号”が軽快なエンジン音をあげて別府湾沿いを行く。昭和43年から12年間続いた気動車“にちりん”の編成は、食堂車キシ80の廃止以外登場時と変わっていない。下り西鹿児島寄りから①キハ82②キロ80③キハ80④キハ80⑤キハ80⑥キハ80⑦キハ82の7輌編成であった。 日豊本線東別府~西大分 S55(1980)/9/14 

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 日豊本線キハ80系の歴史は昭和36年10月の白紙大改正から始まる。宮崎“かもめ”で日豊特急時代の到来を告げ、新幹線開業の39年大分“みどり”、40年堂々13輌編成の宮崎“いそかぜ”(かもめ→いそかぜ/付属6輌大分落し)、そして43年博多~西鹿児島間“にちりん”の誕生である。同時に“いそかぜ”が“日向”に改められて2本の80系特急が49年の南宮崎電化まで続く。“にちりん”は7輌編成であったが、45年季節によって2輌増結されるようになりキハ82の前にキハ82+キハ80が付く9連が見られるようになった。“日向”も48年、7+3の編成となり大分運転所で付属3輌が待機している姿を見ることがあった。日豊電化の南進に伴い“にちりん”は漸次発展をとげ、鹿児島電化の54年には8往復に成長していた。“にちりん5ー16号”は485系の中で孤塁を守る80系気動車であったが、55年10月そのバトンを電車485系に渡し姿を消した。それは19年間続いた日豊本線気動車特急時代の幕切れであった。
 休日の午後、別大海岸の渋滞を横目に南下する80系“にちりん5号” 日豊本線東別府~西大分 S55(1980)/9/14

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 乙津川橋梁は蒸機時代の面影を残す趣きのある鉄橋である。煉瓦のピーアとプレートガーダーの味のある構図はやはり気動車“にちりん”がよく似合う。 5025D“にちりん5号” 日豊本線高城~鶴崎 S55(1980)/9/15

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 “にちりん1号”はキハ82を中間にはさむ9輌編成で博多~西鹿児島間を約8時間40分、表定速度64㎞/hで走破していた。停車駅は黒崎・小倉・中津・別府・大分・臼杵・佐伯・延岡・日向市・宮崎・都城霧島神宮・隼人・鹿児島であった。 4011D 日豊本線高城~鶴崎 S48(1973)/8