転轍器

古き良き時代の鉄道情景

田原坂

f:id:c57115:20210512153951j:plain

 「雨は降る降る、人馬は濡れる、越すに越されぬ田原坂♪」のメロディが浮かぶ田原坂西南戦争の激戦地としてその名前はよく知られている。その歴史よりも鉄道名所「田原坂」に憧れて訪れてみた。峠越え難所のイメージを抱いていたが複線の近代的な路盤はなだらかな坂のように見えた。

f:id:c57115:20210512154106j:plain

 博多発熊本行“有明5号”7輌編成が疾走する。485系は特急増発による短編成化で中間車から先頭車に改造された新たな形式が登場していた。熊本寄り1号車はサロ481からの改造クロ480、博多寄り7号車はモハ485から改造されたクモハ485と思われる。 1005M 鹿児島本線木葉田原坂 S61(1986)/1/18

f:id:c57115:20210512154211j:plain

 熊本・長崎行“みずほ”は14系15形14輌編成で東京を発ち、鳥栖で長崎編成を分け、田原坂は8輌編成で登って来た。A寝台と食堂車は熊本編成に付き2号車はオロネ14、屋根の色が違う6号車がオシ14のようだ。 5レ 鹿児島本線木葉田原坂 S61(1986)/1/18

f:id:c57115:20210512154329j:plain

 古戦場を行くフレートライナー。九州西側の縦貫線はコキフを両端に構えた重量編成が闊歩していた。この区間北陸本線から九州入りしたEF70がブルートレインやフレートライナーを牽引していたが、撮影時はすでに姿を消していた。ED72・73の時代、EF70の時代それぞれに行きたいという思いはあっただけに残念でならない。 鹿児島本線木葉田原坂 S61(1986)/1/18

f:id:c57115:20210512154454j:plain

 カーブの先から堂々15輌編成の西鹿児島行“はやぶさ”が姿を現した。

f:id:c57115:20210512154527j:plain

 ED76屋上の碍子の色が緑色に見える。カニ24の次は個室寝台のオロネ25のようだ。

f:id:c57115:20210512154559j:plain

 木葉からの上り勾配は田原坂を過ぎると熊本平野に向かって下りになる。西鹿児島行“はやぶさ”は6号車までで、食堂車とロビーカーを含む7号車から14号車までは熊本落しとなる。“はやぶさ”熊本着は10時50分。 3レ 鹿児島本線木葉田原坂 S61(1986)/1/18