転轍器

古き良き時代の鉄道情景

豊後竹田 その後

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 赤坂トンネルを飛び出して来た豊後竹田行2輌編成。軽快気動車と呼ばれたキハ31は民営化直前に登場し、短い車体と2列と1列の座席配置、出入り口の折り戸等はまさにレールバスの姿であった。この時転轍小屋はまだ残っていた。 豊後竹田 H8(1996)/5

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 駅裏の通りは長湯や久住からの長距離のバスが通る道で、豊後竹田駅を起点に路線が設定されていた。貨物輸送盛んな時代はこれら周辺の地域から農産物や林産物の一大集散地であったと思われる。賑わった時代が偲ばれる「ようこそ竹田へ」の看板は到着列車から見えるように設置されたのであろう。 豊後竹田 H8(1996)/5

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 線路配線は昭和47年の時と変わっていない。貨物ヤードの跡地はまだ駐車場にはなっていないように見える。 豊後竹田 H8(1996)/5

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 山が迫るカーブした構内と駅裏の民家の並び、照明塔や電柱、踏切の様子は良き時代の情景が漂っている。竹田の町は冬季は厳寒の地と化し夜間滞泊の気動車はエンジンは切らずに夜を明かすことになり、民家から離れた本屋寄りに止めて騒音に配慮したと聞いたことがある。 豊後竹田 H8(1996)/5

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 ホーム上屋も昭和47年の時と変わっていない。ホームのベンチは竹田特産の“かぼす”を輪切りにした形状で作られていた。 豊後竹田 H8(1996)/5

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 稲葉川対岸の公園から駅を望む。本屋は駅構内からは低い位置にあるのがわかる。 豊後竹田 H24(2012)/4/8

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 城下町竹田にふさわしい武家屋敷風の駅舎が構えている。バス路線は駅を中心にして周辺地域へと足を延ばしている。 豊後竹田 H24(2012)/4/8

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 農業倉庫は手前の1棟は取り壊されていたが、時代を物語る重厚な建物は未だ健在である。 豊後竹田 R2(2020)/3/11

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 貨物ヤード跡地は駐車場になっていた。広大な敷地に側線と貨物施設が広がっていたことがうかがえる。 豊後竹田 R2(2020)/3/11