転轍器

古き良き時代の鉄道情景

手向山トンネル 西鉄北九州本線

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 所用で国道3号線を本州へと向かっていた。併用軌道の電車を気にかけながら、進行左側は鹿児島本線のヤードが続き、複雑な鉄道地帯のまっただ中に居るようで快適なドライブを楽しんでいた。路面電車のトンネルが珍しかったからか、車を停めてスナップしていた。短いトンネルはサミットのようで門司行を掲げた590が駆け下りて来た。四角い標識灯がいかつく見える。 西鉄北九州本線新町~赤坂 S60(1985)/4/8

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 手向山トンネルは片側1車線の車道に複線の軌道が敷かれている。トンネル門司側出口辺りが門司区小倉北区の境界のようだ。戸畑行を掲げる587が上り勾配にさしかかる。 西鉄北九州本線新町~赤坂 S60(1985)/4/8

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 手向山トンネルのいきさつは鉄道ジャーナルNo.53~55(昭和46年9~11月号)に連載された「西鉄北九州線をゆく」(奈良崎博保著)を読んで興味が一段と深まった。かつて鹿児島本線関門海峡に面した海側の一部を埋め立てて敷かれ、その後にできた西鉄の前身九州電気軌道の軌道線は山側を削り、鹿児島本線と並行に敷設されていた。昭和17年関門トンネル開通に伴う門司操車場の建設で手向山トンネルを掘って国道とその併用軌道が山側に移設されたとのことであった。
  戸畑行644の左前方に建つ広告看板に「手向山」の文字が見える。 西鉄北九州本線新町~赤坂 S60(1985)/4/8

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 夜行“日南4号”の車窓から撮った手ブレ写真は門司操車場入口の赤坂海岸付近から山側を捉えたもので、国道3号線上を行く西鉄電車が写っていた。併用軌道は山に向かって上っているように見え、その頂上辺りに手向山トンネルがあるものと思われる。 鹿児島本線門司~小倉 S57(1982)/8/18

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 上り線の列車から見えた位置の反対側から門司操車場を望む。415系2ユニットとED76のコンテナ編成が見える。遠い昔、操車場ができる前の鹿児島本線と併用軌道が並んでいた時代に思いを馳せる。 門司操車場  S60(1985)/4/8